やたのたのうえのみや - 元伊勢の第二十五、内宮摂社の大土御祖神社
元伊勢「家田々上宮」(やたのたのうえのみや)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第二十五である。
『皇太神宮儀式帳』には「宇治家田田上宮」とある。所在地は伊勢国。現在の三重県伊勢市楠部町字尾崎にあたる。
倭姫命が「矢田宮」より遷り、天照大神を奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
次が内宮の元宮としての元伊勢、最後の地になる。元伊勢「家田々上宮」の伝承地・候補地は以下の通り。

[所在地]伊勢市楠部町字尾崎
[社格等]伊勢神宮内宮の摂社 - 式内社
[ご利益]水田の神。稲作、転じて五穀豊穣など
元伊勢を巡る
前へ:矢田宮(やだのみや)
次へ:奈尾之根宮(なおしねのみや)
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・元伊勢とは? - 伊勢神宮の元宮、『倭姫命世記』に記載された二人の皇女ゆかりの地
・『倭姫命世記』(18) - ヤマトヒメ、二見から帰還して順調 「矢田宮」「家田々上宮」
・神社いろいろ - これで神社のおよそが分かる! 社格や形式などで神社を分類したまとめ
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
『皇太神宮儀式帳』には「宇治家田田上宮」とある。所在地は伊勢国。現在の三重県伊勢市楠部町字尾崎にあたる。
倭姫命が「矢田宮」より遷り、天照大神を奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
次に家田の田上の宮に遷幸し、その宮に坐す時、度会大幡主命、皇太神の朝御饌・夕御饌処の御田を定め奉った。宇遅田々上にある抜穂田のことである。(『倭姫命世記』 口語訳)前の「矢田宮」神宮神田からほど近く、しかも神宮神田とも非常に密接なつながりがあるとされる大土御祖神社。
次が内宮の元宮としての元伊勢、最後の地になる。元伊勢「家田々上宮」の伝承地・候補地は以下の通り。
大土御祖神社

[所在地]伊勢市楠部町字尾崎
[社格等]伊勢神宮内宮の摂社 - 式内社
[ご利益]水田の神。稲作、転じて五穀豊穣など
元伊勢を巡る
前へ:矢田宮(やだのみや)
次へ:奈尾之根宮(なおしねのみや)
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