おおかわのたきはらのくに - 瀧原宮、無言の抵抗示した姫は?
元伊勢「大河之滝原之国」伝承地である瀧原宮(度会郡大紀町滝原)
元伊勢「大河之滝原之国」(おおかわのたきはらのくに)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第二十三である。所在地は伊勢国。現在の三重県度会郡大紀町滝原にあたる。

倭姫命が「伊蘓宮」より遷り、天照大神を奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
そこから幸行して美き地に到った。真奈胡神に、「国の名は何そ」と問ふと、「大河の滝原の国」と申上げた。

その地に、宇大の大宇祢奈に荒草を苅り掃ひさせ、宮を造って坐さしめたが、この地は、皇太神の欲ほし給ふ地には有らずと悟った。

また大河の南へ宮処を求めて幸行するに、美き野に到って、宮処求め侘びて、そこを和比野となづけた。

そこから幸行すると、久求都彦(くくつひこ)が現はれ参上したので、「汝が国の名は何そ」と問ふと、「久求の小野」と申上げた。倭姫命は詔して、この御宮処を久求小野(くくのをの)となづけ、久求社を定められた。

久求都彦が、「吉き大宮処有り」と申上げたので、そこに幸行すると、園作神が現はれ参上して、御園地を進った、それを悦ばれて園相社を定められた。

さらに幸行すると、美し小野が有った。倭姫命はそれを愛で給ひ、そこを目星野となづけた。

その森に円らなる小山があり、都不良となづけた。そこから幸行すると、沢道野があり、沢這小野となづけた。

その時、大若子命が、河から御船を率ゐて、御迎へに参上した。倭姫命は大く悦ばれ、「吉き宮処あるや」と問ふと、大若子命は「さこくしろ宇遅の五十鈴の河上に、吉き御宮処あり」と申上げた。

倭姫命が悦ばれて問ふに、「此の国の名は何そ」と問ふと、「御船向田国(みふねたむけのくに)」と申上げた。

御船に乗って幸行し、その忌楯桙種々神宝物を留め置いた。所の名は忌楯小野となづけた。

その地から幸行すると小浜があり、鷲取る老翁があった。倭姫命が、「御水(おもゆ)飲らん」と詔して、「何処に吉き水あらむ」と問ふと、老翁は、寒なる御水を以て御饗を奉った。それを讃めて水門に水饗神社を定め、浜の名を鷲取小浜となづけた。

かくして二見浜に御船を泊め、大子命に「国の名は何そ」と問ふと、「速雨 二見国」と申上げた。

永くその浜に御船を留めて坐す時、佐見都日女が現はれ参上したので、「汝が国の名は何そ」と問ふと、詔を聞かず何も答へずに、堅塩を以て多き御饗を奉った。

倭姫命は慈しんで堅多社を定められた。乙若子命はその浜に御塩と御塩山を定め奉った。

そこから幸行して五十鈴河の後の江に入ると、佐美川日子が現はれ参上したので、「この河の名は何そ」と問ふと、「五十鈴河後」と申上げた。その処に江社を定められた。

また荒崎姫が現はれ参上したので、国の名を問ふと、「皇太神の御前の荒崎」と申上げた。「恐し」と詔して、神前社を定められた。

この江の上に幸行して御船を泊め、所の名を御津浦となづけた。

更に上に幸行すると、小嶋があり、その嶋に坐して山末や河内を見廻らすと、大屋門の如きところの前に平地があったので、そこに上って、所の名を大屋門となづけた。

さらに幸行して、神淵河原に坐すと、苗草を戴く耆女が現はれ参上したので、「汝は何する耆女そ」と問ふと、「我は苗草を取る女、名は宇遅都日女(うぢつひめ)」と申上げた。

また、「などか、かく為るそ」と問ふと、耆女は「この国は鹿乃見哉毛為」と申上げたので、そこを鹿乃見となづけた。

「何そこれ」と問ふと「止可売」と申上げたので、そこを止鹿乃淵となづけた。(『倭姫命世記』 口語訳
「和比野」は現在、度会町に和井野として地名が残っている。「久求社」は現在、内宮摂社として久具都比賣神社がある。

園相社はやはり内宮摂社の園相神社。「目星野」、「都不良」(津村町?)、「沢這小野」(佐八町?)は不詳。

「忌楯小野」「水饗神社」は豊受大神宮(外宮)摂社の御食神社とされる。

「堅多社」は内宮摂社の堅田神社。佐見都日女の無言による反抗が印象的。佐見都日女は現在、佐見都日女命(さみつひめのみこと)として堅田神社で丁重に祀られている。

何があったか、推して知るべしか。「江社」は、やはり内宮摂社の江神社

「神前社」はヤマトヒメが恐縮したことで知られる説話通りの、現在の内宮摂社である神前神社

「大屋門」は不詳。「止鹿乃淵」は現在、伊勢市鹿海町(かのみちょう)となり、現在は内宮末社の加努弥神社が鎮座する。

元伊勢「大河之滝原之国」の伝承地・候補地は以下の通り。

瀧原宮

瀧原宮 - 神宮125社、内宮・別宮 ヤマトヒメゆかりの元伊勢の一つ、和魂を祀る
[所在地]度会郡大紀町滝原
[社格等]伊勢神宮内宮の別宮 - 式内社
[ご利益]光華明彩、照徹六合之内

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