いいのたかみや - 伊勢国、元伊勢の第二十、神社・地名譚説話へ
元伊勢「飯野高宮」伝承地の一つである飯野高宮神山神社(松阪市山添町字神山)
元伊勢「飯野高宮」(いいのたかみや、高丘宮)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第二十である。『皇太神宮儀式帳』にも同名で登場する。所在地は伊勢国。現在の三重県松坂市にあたる。

倭姫命が「阿佐加藤方片樋宮」より遷り、天照大神を4年間奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
(第十一代垂仁天皇)二十二年[癸丑]、飯野の高宮に遷り、四年間奉斎。この時、飯高県造の祖の乙加豆知命(おとかづちのみこと)に「汝が国の名は何そ」と問ふと、「いすひ 飯高国」と申上げて、神田・神戸を進った。倭姫命は「飯高しと白すこと貴し」と悦ばれた。

次に、佐奈(佐那)県造の祖の弥志呂宿禰命(みしろのすくねのみこと)に、「汝が国の名は何そ」と問ふと、「こもりく 志多備の国、まくさむ 毛佐向国(草向ふ国)」と申上げて、神田・神戸を進った。

また大若子命に「汝が国の名は何そ」と問ふと、「百張(ももはる)蘇我の国、五百枝刺(いほえさす)竹田の国」と申上げた。その処に(倭姫の)御櫛が落ちたので、その地を櫛田と名づけ、櫛田社を定められた。

ここから御船に乗って幸行し、河後の江に到ると、魚が自然と寄り集って、御船に参ゐ乗った。倭姫命は、それを見て悦ばれ、魚見社を定められた。

さらに幸行すると、御饗を奉れる神が現はれ参上したので、「汝が国の名は何そ」と問ふと、「白浜 真名胡国」と申上げた。その所に兵名胡神社を定められた。

また乙若子命は、麻神・草霊等を倭姫命に進って、祓へとした。陪従の人に及ぶまで弓剱を留めて、兵と共に飯野高丘に入り座して、遂に五十鈴宮に向ふを得た。

爾来、天皇の太子、斎宮、駅使・国司人等に至るまで、川辺で祓へをし、鈴声を止む。その儀の所縁である。(『倭姫命世記』 口語訳
櫛田社は松阪市の櫛田神社のことか。また、櫛田川の語源の可能性が高い。魚見社も現在、魚見神社として伝わっている。

兵名胡神社は、真名胡神社とも。櫛田川の河口に相当するらしい。三重県多気郡明和町にある畠田神社に合祀された白浜真名胡神社か。

真名胡神とはゆかりが深く、元伊勢「伊蘓宮」あたりでも遭遇することになる。この当たりから、神社、地名の由来説話が多くなっていく。

元伊勢「飯野高宮」の伝承地・候補地は以下の通り。

飯野高宮神山神社

飯野高宮神山神社 - 三重県松阪市、サルタヒコとアメノウズメを祀る元伊勢伝承地
[所在地]松阪市山添町字神山
[社格等]式内社 - 郷社
[ご利益]開運、厄除け、方位除け、交通安全

神戸神館神明社

神戸神館神明社 - 三重県松阪市、伊勢神宮に代々奉仕してきた元伊勢「飯野高宮」
[所在地]松阪市下村町
[社格等]式内社 - 村社
[ご利益]開運、厄除け、五穀豊穣、財運

牛庭神社

牛庭神社 - 三重県松阪市下蛸路町、式内論社で、元伊勢「飯野高宮」伝承地
[所在地]松阪市下蛸路町
[社格等]式内社 - 村社
[ご利益]厄除け、五穀豊穣、子孫繁栄

久尓都神社

久尓都神社 - 三重県松阪市にあった式内社も、同市内の加世智神社に合祀された元伊勢
[所在地]松阪市郷津町字里中(旧社地)
[社格等]式内社 - 村社 - 現在加世智神社に合祀
[ご利益]当地開拓の神、開運、厄除け

滝野神明社

滝野神明社 - 三重県松阪市にあった、同市内の水屋神社に合祀された元伊勢の一つ
[所在地]松阪市飯高町作滝(旧社地)
[社格等]現在水屋神社に合祀
[ご利益]開運、厄除け、旅行・交通安全

花岡神社

花岡神社(松阪市飯高町) - アメノオシホミミを祀る、元伊勢「飯野高宮」伝承地
[所在地]松阪市飯高町宮前
[社格等]郷社
[ご利益]家門繁栄、商売繁盛、入学・就職

元伊勢を巡る
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