あさかのふじかたのかたひのみや - 戦闘も、父娘の絆
元伊勢「阿佐加藤方片樋宮」伝承地の一つである加良比乃神社(津市藤方字森目)
元伊勢「阿佐加藤方片樋宮」(あさかのふじかたのかたひのみや)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第十九である。

『皇太神宮儀式帳』には「壱志藤方片樋宮」とある。所在地は伊勢国。現在の三重県津市、松坂市にあたる。

倭姫命が「草蔭阿野国」より遷り、天照大神を4年間奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
(第十一代垂仁天皇)十八年[己酉]、阿佐加の藤方片樋宮に遷坐し、四年間奉斎。

この時、阿佐加の嶺に坐していつ速ふる神は、百人往く人を五十人取り殺し、四十人往く人を二十人取り殺した。

かく、いつ速ふる時に、倭比売命は、朝廷に大若子を進上して、その神の事を奏上すると、(天皇は)「種々の大手津物(おほたなつもの)を彼の神に進り、柔はししづめ平げ奉れ」と詔して、遣はし下された。

そこで、阿佐加の山嶺に社を作り定めて、その神を柔はししづめ上げ奉り、労ぎ祀った。神は「うれし」と詔ったので、そこを名づけて「宇礼志」といふ。

その地を渡り坐す時に、阿佐加の加多なる多気連等の祖、宇加乃日子の子、吉志比女、次に吉彦の二人が現はれ参上したので、「汝らがあさる物は何そ」と問へば、「皇太神の御贄のはやし奉り上げむと、きさ(赤貝)をあさる」と申上げた。

「白すこと恐し」と詔して、そのきさを太神の御贄に進らせて、佐々牟の木枝を割き取りて、生(いけ)燧きに うけ燧きらせると、その火燧り出でて、采女忍比売が作った天の平瓮八十枚を、伊波比戸に仕へ奉った。吉志比女は、地口・御田・麻園を進った。(『倭姫命世記』 口語訳
巡行通じても、ほとんど初めての血なまぐさい表現のあるところ。また、ここが唯一。こうした伝承は、下の二つの阿射加神社にも伝わっている。

倭姫命巡幸が、相応の戦闘を伴うものだった可能性を示唆している。また、娘のピンチに積極的に助勢する父・垂仁天皇の姿も印象深い。

元伊勢「阿佐加藤方片樋宮」の伝承地・候補地は以下の通り。

加良比乃神社

加良比乃神社 - 三重県津市、式内社の古社、元伊勢「阿佐加藤方片樋宮」の伝承地
[所在地]津市藤方字森目
[社格等]式内社 - 村社
[ご利益]開運、厄祓い、宝飾関係

阿射加神社

阿射加神社(松坂市小阿坂町) - 応仁の乱の頃に現在地に遷座、元伊勢の伝承地
[所在地]松阪市小阿坂町
[社格等]名神大社 - 村社
[ご利益]方位除け、交通安全、五穀豊穣

阿射加神社

阿射加神社(松阪市大阿坂町) - 信長の兵火で焼失もその後再建した元伊勢の一つ
[所在地]松阪市大阿坂町
[社格等]名神大社 - 村社
[ご利益]方位除け、交通安全、五穀豊穣

雲出神社

雲出神社 - 三重県津市、大國御魂神を祀る、元伊勢「阿佐加藤方片樋宮」の伝承地
[所在地]津市雲出本郷町
[社格等]-
[ご利益]開運、厄除け、地鎮、家内安全

元伊勢を巡る
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