ささはたのみや - 大和国、元伊勢の第八、ヤマトヒメの片腕・宇陀の童女
元伊勢「佐佐波多宮」(ささはたのみや)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第八である。
『日本書紀』に「菟田筱幡」、『皇太神宮儀式帳』に「宇太乃阿貴宮」とある。所在地は大和国。現在の奈良県宇陀市周辺にあたる。
倭姫命が、「宇多秋宮」より遷り、天照大神を奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
この宇陀の童女、大称奈(おおねな)は倭姫命の片腕となったようで、『皇太神宮儀式帳』にも登場、伊勢の地までともにすることになったようだ。
今は、下記の篠畑神社で、篠畑姫神として祀られている。元伊勢「佐佐波多宮」の伝承地・候補地は以下の通り。
[所在地]宇陀市榛原山辺三字篠畑
[社格等]式内社
[ご利益]五穀豊穣、万物幇助
[所在地]宇陀市榛原山辺三
[社格等]-
[ご利益]歯痛、転じて健康全般、開運
[所在地]宇陀郡御杖村神末
[社格等]式内社 - 郷社
[ご利益]開運、旅行・交通安全、婦人病平癒
元伊勢を巡る
前へ:宇多秋宮(うだあきのみや)
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『日本書紀』に「菟田筱幡」、『皇太神宮儀式帳』に「宇太乃阿貴宮」とある。所在地は大和国。現在の奈良県宇陀市周辺にあたる。
倭姫命が、「宇多秋宮」より遷り、天照大神を奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
(第十代崇神天皇)六十年[癸未]、大和国宇多秋宮(宇太阿貴宮)に遷り、四年間奉斎。「宇多秋宮」から少しだけの移動であり、両者とも広く「宇陀地方」であるため、エピソードも連動している。
この時、倭国造は、采女 香刀比売(かとひめ)、地口・御田を進った。大神が倭姫命の夢に現はれ「高天の原に坐して吾が見し国に、吾を坐せ奉れ」と諭し教へた。
倭姫命はここより東に向って乞ひ、うけひして言ふに、「我が心ざして往く処、吉きこと有れば、未嫁夫童女に相(逢)へ」と祈祷して幸行した。
すると佐々波多が門(菟田筏幡)に、童女が現はれ参上したので、「汝は誰そ」と問ふと、「やつかれは天見通命の孫、八佐加支刀部(やさかきとめ)〔一名は伊己呂比命(いころひのみこと)〕が児、宇太乃大称奈(うだのおほねな)」と申上げた。
また「御共に従ひて仕へ奉らむや」と問へば「仕へ奉らむ」と申上げた。
そして御共に従って仕へ奉る童女を大物忌(おほものいみ)と定めて、天の磐戸の鑰(かぎ)を領け賜はって、黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉った。
元(はじめ)を元とし、本を本にする所縁である。また弟大荒命も同じく仕へ奉った。宇多秋宮より幸行して、佐々波多宮に坐した。(『倭姫命世記』 口語訳)
この宇陀の童女、大称奈(おおねな)は倭姫命の片腕となったようで、『皇太神宮儀式帳』にも登場、伊勢の地までともにすることになったようだ。
今は、下記の篠畑神社で、篠畑姫神として祀られている。元伊勢「佐佐波多宮」の伝承地・候補地は以下の通り。
篠畑神社
[所在地]宇陀市榛原山辺三字篠畑
[社格等]式内社
[ご利益]五穀豊穣、万物幇助
葛神社
[所在地]宇陀市榛原山辺三
[社格等]-
[ご利益]歯痛、転じて健康全般、開運
御杖神社
[所在地]宇陀郡御杖村神末
[社格等]式内社 - 郷社
[ご利益]開運、旅行・交通安全、婦人病平癒
元伊勢を巡る
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