うだあきのみや - 大和国、元伊勢の第七、ヤマトヒメの第一歩
元伊勢「宇多秋宮」伝承地である阿紀神社(宇陀市大宇陀迫間)
元伊勢「宇多秋宮」(うだあきのみや)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第七である。『皇太神宮儀式帳』にも「宇太乃阿貴宮」とある。所在地は大和国。現在の奈良県宇陀市周辺にあたる。

豊鍬入姫命から引き継いだ倭姫命が、「弥和乃御室嶺上宮」より遷り、天照大神を4年間奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
(第十代崇神天皇)六十年[癸未]、大和国宇多秋宮(宇太阿貴宮)に遷り、四年間奉斎。

この時、倭国造は、采女 香刀比売(かとひめ)、地口・御田を進った。大神が倭姫命の夢に現はれ「高天の原に坐して吾が見し国に、吾を坐せ奉れ」と諭し教へた。

倭姫命はここより東に向って乞ひ、うけひして言ふに、「我が心ざして往く処、吉きこと有れば、未嫁夫童女に相(逢)へ」と祈祷して幸行した。

すると佐々波多が門(菟田筏幡)に、童女が現はれ参上したので、「汝は誰そ」と問ふと、「やつかれは天見通命の孫、八佐加支刀部(やさかきとめ)〔一名は伊己呂比命(いころひのみこと)〕が児、宇太乃大称奈(うだのおほねな)」と申上げた。

また「御共に従ひて仕へ奉らむや」と問へば「仕へ奉らむ」と申上げた。

そして御共に従って仕へ奉る童女を大物忌(おほものいみ)と定めて、天の磐戸の鑰(かぎ)を領け賜はって、黒き心を無くして、丹き心を以ちて、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、太神に仕へ奉った。

元(はじめ)を元とし、本を本にする所縁である。また弟大荒命も同じく仕へ奉った。(『倭姫命世記』 口語訳
倭姫命巡幸の第一歩であるが、ここで初めて、豊富なエピソードが盛り込まれている。また、天照大神の神意が示されたのも初めて。

『倭姫命世記』でこの後定番になる、いわゆる「倭姫命のお尋ね(「誰だ?」。後には「国の名は?」が多くなる)」の第一でもある。元伊勢「宇多秋宮」の伝承地・候補地は以下の通り。

阿紀神社

阿紀神社 - 宇陀の神武東遷ゆかりの地、元伊勢「阿貴宮」の唯一の比定地 神宮元宮
[所在地]宇陀市大宇陀迫間
[社格等]式内社 - 県社
[ご利益]開運、満願成就

元伊勢を巡る
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