みわのみむろのみねのうえのみや - 大和国三輪山の高宮神社
元伊勢「弥和乃御室嶺上宮」(みわのみむろのみねのうえのみや)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第六である。所在地は大和国。現在の奈良県桜井市三輪にあたる。
豊鍬入姫命が「名方浜宮」より遷り、「吾、日足りぬ」として姪の倭姫命を御杖代として指名して引き継ぎ、天照大神を2年間この地で奉斎した。
天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
後年、倭姫命も後進に仕事を譲るが、こうして後世「斎宮」と呼ばれる仕事が、代々受け継がれていくものだということを示す最初のケースとして興味深い。
しかもそれが、いわば大物主命が鎮座する大神神社の奥宮で行われた、というのが極めて意味深。
元伊勢の中でもあまり多くは触れられない場所であるかもしれないが、重要なターニングポイントと言える。元伊勢「弥和乃御室嶺上宮」の伝承地・候補地は以下の通り。

[所在地]桜井市三輪山山頂
[社格等]大神神社摂社
[ご利益]-
元伊勢を巡る
前へ:名方浜宮(なかたのはまみや)
次へ:宇多秋宮(うだあきのみや)
【関連記事】
・元伊勢とは? - 伊勢神宮の元宮、『倭姫命世記』に記載された二人の皇女ゆかりの地
・神社いろいろ - これで神社のおよそが分かる! 社格や形式などで神社を分類したまとめ
・『倭姫命世記』(4) - トヨスキイリビメ「笠縫邑」から丹後へ 大和に戻り引退へ
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
豊鍬入姫命が「名方浜宮」より遷り、「吾、日足りぬ」として姪の倭姫命を御杖代として指名して引き継ぎ、天照大神を2年間この地で奉斎した。
天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
(第十代崇神天皇)五十八年[辛巳]、倭弥和乃御室嶺上宮(美和之御諸宮)に遷り、二年間奉斎。この時、豊鋤入姫命は、「吾、日足りぬ」といひ、姪の倭比売命に事を預け、御杖代と定めた。これより倭姫命が、天照大神を奉戴して行幸した〔相殿神は天児屋命 太玉命。御戸開闢神は天手力男神 拷幡姫命。御門神は 豊石窓 櫛石窓命。並びに五部伴神、相副って仕へ奉る〕。(『倭姫命世記』 口語訳)伊勢大神の巡行と言えば、の代名詞である倭姫命の登場。豊鍬入姫命がここで退場する。
後年、倭姫命も後進に仕事を譲るが、こうして後世「斎宮」と呼ばれる仕事が、代々受け継がれていくものだということを示す最初のケースとして興味深い。
しかもそれが、いわば大物主命が鎮座する大神神社の奥宮で行われた、というのが極めて意味深。
元伊勢の中でもあまり多くは触れられない場所であるかもしれないが、重要なターニングポイントと言える。元伊勢「弥和乃御室嶺上宮」の伝承地・候補地は以下の通り。
高宮神社(三輪山)

[所在地]桜井市三輪山山頂
[社格等]大神神社摂社
[ご利益]-
元伊勢を巡る
前へ:名方浜宮(なかたのはまみや)
次へ:宇多秋宮(うだあきのみや)
【関連記事】
・元伊勢とは? - 伊勢神宮の元宮、『倭姫命世記』に記載された二人の皇女ゆかりの地
・神社いろいろ - これで神社のおよそが分かる! 社格や形式などで神社を分類したまとめ
・『倭姫命世記』(4) - トヨスキイリビメ「笠縫邑」から丹後へ 大和に戻り引退へ
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧

コメント