いつかしのもとのみや - 大和国、元伊勢の第三、行ったり来たりの謎
元伊勢「伊豆加志本宮」(いつかしのもとのみや)は、『倭姫命世記』に記載される元伊勢の第三である。所在地は大和国。現在の奈良県桜井市にあたる。
豊鍬入姫命が「吉佐宮」より遷り、天照大神を8年間奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
実際に、「伊豆加志本宮」は「笠縫邑」と同じ場所との説もある。この行ったり来たりの意味は不明。この後もまた大和を飛び出すが、やはりもう一度大和に戻ってくるというパターンが出てくる。
元伊勢「伊豆加志本宮」の伝承地・候補地は以下の通り。
[住所]桜井市初瀬字与喜山
[電話]0744-55-2300
[住所]桜井市初瀬4593
[電話]-
元伊勢を巡る
前へ:吉佐宮(よさのみや)
次へ:奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)
【関連記事】
・元伊勢とは? - 伊勢神宮の元宮、『倭姫命世記』に記載された二人の皇女ゆかりの地
・神社いろいろ - これで神社のおよそが分かる! 社格や形式などで神社を分類したまとめ
・『倭姫命世記』(4) - トヨスキイリビメ「笠縫邑」から丹後へ 大和に戻り引退へ
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
豊鍬入姫命が「吉佐宮」より遷り、天照大神を8年間奉斎した。天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上。
(第十代崇神天皇)四十三年[丙寅]、倭国伊豆加志本宮(厳橿之本宮)に遷り、八年間奉斎。(『倭姫命世記』 口語訳)内宮と豊受大神宮(外宮)がリンクした、丹波「吉佐宮」における豊宇介神との邂逅は、それなりに意義深いものではあったが、それにしても、第一の「笠縫邑」の近くに舞い戻った形。
実際に、「伊豆加志本宮」は「笠縫邑」と同じ場所との説もある。この行ったり来たりの意味は不明。この後もまた大和を飛び出すが、やはりもう一度大和に戻ってくるというパターンが出てくる。
元伊勢「伊豆加志本宮」の伝承地・候補地は以下の通り。
與喜天満神社
[住所]桜井市初瀬字与喜山
[電話]0744-55-2300
長谷山口坐神社
[住所]桜井市初瀬4593
[電話]-
元伊勢を巡る
前へ:吉佐宮(よさのみや)
次へ:奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)
【関連記事】
・元伊勢とは? - 伊勢神宮の元宮、『倭姫命世記』に記載された二人の皇女ゆかりの地
・神社いろいろ - これで神社のおよそが分かる! 社格や形式などで神社を分類したまとめ
・『倭姫命世記』(4) - トヨスキイリビメ「笠縫邑」から丹後へ 大和に戻り引退へ
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
コメント