秀吉ゆかりの子授かりの女陰石や黄金伝説、清州三社の一社
日吉神社
[住所]愛知県清須市清洲2272
[電話]052-400-2402

日吉神社(ひよしじんじゃ)は、愛知県清須市にある神社。清州山王宮とも。山王(山の神)を祀り、病や厄災を除くことを目的として建立され、清州城下の総鎮守、総氏神として信仰を集めている。

『延喜式神名帳』にある「針熊神社(尾張国・中島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社清洲三社の一社。

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、大山咋神(おおやまぐいのかみ)。

光仁天皇の御世、奈良時代の宝亀2年(771年)、尾張地方に疫病が流行、当地の人々が素戔嗚命を大己貴命とあわせて祀り、病災除去の氏神としたのが発祥。

その後、平安時代の大同2年(807年)、橘逸勢が社殿を建立、天台宗の布教の影響のもとで、山王宮と呼ばれるようになった。現存していないが、「弘法大師お手植の椿」があったという。

13世紀末には著しく興隆、社殿を改築し、多くの神領があったという。尾張国国府が清州に移ってからは、清州総氏神として信仰を集め、4000坪以上の境内に荘厳な社殿を構えていたという。

戦国時代の天正8年(1580年)、清州城代織田信張が日吉大社より大山咋神と摂社21社を勧請し、明治以降に現社号に改称、現在に至る。

当社の一角に古来より「子産石」と称される女陰石があり、女性がこの石に触れると立ちどころに懐妊すると伝えられる。豊臣秀吉の生母(大政所)は、この子産石に触れ、祈願して秀吉を授かり、幼名を「日吉丸」と名付けたとされている。

また、黄金伝説が伝わる。享保11年(1726年)、当時の神主が農民に椿の枯れ木の根を売り渡そうと、これを掘ったところ、慶長時代の大判、切り金など60枚、時価にして数億円の黄金が発見されたという。

2枚を残して藩役所へ差し出したところ、当時のお金で数百両となり、社殿すべてを建て直すことができたという。

「この人ゴミを押しわけて、はやく来やがれ、王子さま。」で有名な現代美術アーティストのイチハラヒロコの恋みくじがある。

三輪隆裕宮司がブログを執筆しており、自説を展開している。

清洲三社のあと二社は、元伊勢が残る通称「内宮」御園神明社と、同じく「外宮」上畠神明社

なお、式内社「針熊神社」は、所在不明とされる場合がある。

【ご利益】
病気平癒、厄災除去、子授かり、安産、医薬、夫婦和合、方除け、魔除け(公式HP
日吉神社(清須市) - 秀吉ゆかりの子授かりの女陰石や黄金伝説、清州三社の一社
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