三重県多気町、中臣氏同属の大鹿氏ゆかり、元伊勢「伊蘓宮」伝承地
[住所]三重県多気郡多気町相可464
[電話]0598-38-3576
相鹿上神社(おおかがみじんじゃ、相可上神社)は、三重県多気郡多気町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「相鹿上神社(あふかのかむじんじゃ、伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
明治41年(1908年)5月12日、式内二社「相鹿牟山神社二座」「伊蘇上神社」などを合祀、現社地は式内社「伊蘇上神社」の社地で、現在も境内に「伊蘇上神社」の石碑がある。
合祀以前の旧社地は、相可字内畑153番地にあり、現社地から西方約500メートルにある。
現在は駐車場となり、昭和60年(1985年)に建てられた「相鹿上神社旧跡」の石碑がある。現社地は、境内西側を国道42号線が走る。主祭神は天児屋根命。
・伊蘇上神社御祭神…大彦命、伊邪那岐命、天忍穗耳命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命
・相鹿牟山神社御祭神…大鹿島命(おおかしまのみこと、中臣氏の祖)、巨狭山命(大鹿島命の子)、天穗日命、八衢比古命、久那斗命、火産靈命、宇迦之御魂命、菅原道真、祭神不詳五座
伊勢国多気郡には他に式内社として「国乃御神社」「相鹿木大御神社」などがあり、比定に際して論が分かれる場合がある。
式内社「相鹿牟山神社二座」の論社は他に、大台町の川添神社がある。式内社「相鹿木大御神社」の論社は他に、多気町の西外城田神社に合祀、四疋田八柱神社がある。
熊野三山詣や那智山詣としての熊野街道と、都(平安京)や上方(大坂)と伊勢の神宮(伊勢神宮)とを結ぶ参宮街道が交差する交通の要所であった相可地区は、宿場町として繁栄。
当社もその中で発展を遂げた。上代から平安時代にかけ、大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が当地一帯を支配。
大鹿氏は相可地区が伊勢神宮や斎宮の神領地になっていたため、政所や検校が置かれ、そこの役人として、この地に住み着いたとも考えられる。
大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命を御祭神とする神社を建立したものが当社。付近一円の氏神として崇拝された。
『皇太神宮儀式帳』に「玉岐波流礒宮」、『倭姫命世記』に「伊蘓宮(伊蘇宮)」とある、天照大神を奉斎した倭姫命が滞在したとされる、元伊勢の一つ。
『日本書紀』にある「磯宮」ともされる場合がある。伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の元宮の一つである可能性がある。なお、元伊勢「伊蘓宮」の候補地は他に、伊勢市磯町の磯神社がある。
【ご利益】
当地開拓の神で氏神、勉学・受験
【関連記事】
・元伊勢「伊蘓宮」(いそのみや) - 元伊勢の第二十二、内宮摂末社の由来譚が多くなる
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
[電話]0598-38-3576
相鹿上神社(おおかがみじんじゃ、相可上神社)は、三重県多気郡多気町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「相鹿上神社(あふかのかむじんじゃ、伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
明治41年(1908年)5月12日、式内二社「相鹿牟山神社二座」「伊蘇上神社」などを合祀、現社地は式内社「伊蘇上神社」の社地で、現在も境内に「伊蘇上神社」の石碑がある。
合祀以前の旧社地は、相可字内畑153番地にあり、現社地から西方約500メートルにある。
現在は駐車場となり、昭和60年(1985年)に建てられた「相鹿上神社旧跡」の石碑がある。現社地は、境内西側を国道42号線が走る。主祭神は天児屋根命。
・伊蘇上神社御祭神…大彦命、伊邪那岐命、天忍穗耳命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命
・相鹿牟山神社御祭神…大鹿島命(おおかしまのみこと、中臣氏の祖)、巨狭山命(大鹿島命の子)、天穗日命、八衢比古命、久那斗命、火産靈命、宇迦之御魂命、菅原道真、祭神不詳五座
伊勢国多気郡には他に式内社として「国乃御神社」「相鹿木大御神社」などがあり、比定に際して論が分かれる場合がある。
式内社「相鹿牟山神社二座」の論社は他に、大台町の川添神社がある。式内社「相鹿木大御神社」の論社は他に、多気町の西外城田神社に合祀、四疋田八柱神社がある。
熊野三山詣や那智山詣としての熊野街道と、都(平安京)や上方(大坂)と伊勢の神宮(伊勢神宮)とを結ぶ参宮街道が交差する交通の要所であった相可地区は、宿場町として繁栄。
当社もその中で発展を遂げた。上代から平安時代にかけ、大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が当地一帯を支配。
大鹿氏は相可地区が伊勢神宮や斎宮の神領地になっていたため、政所や検校が置かれ、そこの役人として、この地に住み着いたとも考えられる。
大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命を御祭神とする神社を建立したものが当社。付近一円の氏神として崇拝された。
『皇太神宮儀式帳』に「玉岐波流礒宮」、『倭姫命世記』に「伊蘓宮(伊蘇宮)」とある、天照大神を奉斎した倭姫命が滞在したとされる、元伊勢の一つ。
『日本書紀』にある「磯宮」ともされる場合がある。伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の元宮の一つである可能性がある。なお、元伊勢「伊蘓宮」の候補地は他に、伊勢市磯町の磯神社がある。
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