三重県明和町、鶴と稲穂の伝説ある元伊勢「佐佐牟江宮」伝承地
竹佐々夫江神社 - 三重県神社庁
[住所]三重県多気郡明和町山大淀
[電話]-

竹佐々夫江神社(たけささふえじんじゃ)は、三重県多気郡明和町にある神社。

『延喜式神名帳』にある「竹佐々夫江神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

元伊勢の一つ。「竹佐々夫江」の「竹」は多気郡の意で、佐々夫江は地名。

御祭神は、建速須佐之男命大歳神栲幡千々姫命。須佐之男命と大歳神は親子。大歳神は後述の鶴による稲穂くわえの伝承に対応していると考えられる。

『倭姫命世記』に第11代垂仁天皇22年、皇女倭姫命天照大神の神霊を奉載し、飯野高宮より行幸の折、佐々牟江に船を留め、その地に佐々牟江の宮を造営して、佐々牟江社を定めたとある。

『皇太神宮儀式帳』に「多気佐々牟迤宮」、『倭姫命世記』に「佐佐牟江宮(佐佐牟江社)」とある、元伊勢の伝承地。元伊勢「佐佐牟江宮」の候補は当社しかなく、ほぼ確定。

明治40年(1907年)、八握穂神社、津島神社を合祀し、大正元年(1912年)に神饌幣帛料供進社に指定された。

明治初期には敬神社と称する宮座があり、1月2日に御頭神事が斎行され、毎年4月には境内で獅子舞の奉納があったが、いずれも現在は行われていない。祇園祭は毎年行われる。

古くから伊勢の神宮(伊勢神宮)崇拝の末社参りがさかん。江戸時代末まで、八握穗社と並んで鎮座していたと思われる。

八握穂社の由来は鶴が稲穂をくわえていたことから、懸税発祥の地とされる。
(第11代垂仁天皇27年[戊午]の)また明る年秋のころ、真名鶴は、皇太神宮に向かって天翔り、北より来て、日夜止まずに翔り鳴いた。時は昼の始め。

倭姫命は、異しまれて、足速男命を使に見させた。使が行くと、鶴は佐々牟江宮の前の葦原の中に還り行きて鳴いてゐた。

そこへ行って見ると、葦原の中から生へた稲の、本は一基で、末は八百穂に茂り、(鶴は穂を)咋ひ捧げ持って鳴いた。

使が見顕すと、鳴声は止み、天翔る事も止めた。かく返事を申上げた。

倭姫命は、歓ばれて詔ふに、「恐し、皇太神入り坐さば、鳥禽相悦び、草木共に相随ひ奉る。稲一本は千穂八百穂に茂れり」と詔して、竹連吉比古等に仰せて、初穂を抜穂に半分抜かしめ、大税に苅らしめ、皇太神の御前に懸け奉った。

抜穂は細税といひ、大苅は太半といひ、御前に懸け奉った。よって、天都告刀に「千税八百税余り」と称へ白して仕奉る。鶴の住処には八握穂社を造り祠った。
鶴が稲穂をくわえる伝承は、伊勢神宮の皇大神宮(内宮)別宮の伊雑宮の所管社である佐美長神社(三重県志摩市)にも伝わる。

『倭姫命世記』のこの段の前に出てくる鶴の話と関連がある。佐美長神社の御祭神も大歳神。

なお、同町の畠田神社でも八握穗社とされる神社を合祀したと伝承されている。

【ご利益】
開運、厄除け、農業、五穀豊穣
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