三重県松阪市、サルタヒコとアメノウズメを祀る元伊勢伝承地
[住所]三重県松阪市山添町4
[電話]-
飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)は、三重県松阪市山添町にある神社。単に神山神社とも。元伊勢の一つ。
『延喜式神名帳』にある「神山神社(伊勢国・飯野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
「神山神社」だけで検索してしまうと、似た名前の著名な神社である鳥取県の大神山神社がヒットする可能性があるが、もちろん別の神社。
「松坂市 神山神社」「飯野高宮神山神社」などでの検索が必要。
御祭神は猿田彦命、天鈿女命。
『神山神社記』によれば、第11代垂仁天皇25年、天照大神が伊蘇宮(伊蘓宮)に遷幸した後、猿田彦神霊と天鈿女命の苗裔猿女命を当宮の仮主と定め、田上石楯が奉仕した。
しかし石楯が老齢のため、これを辞した。倭姫命は、猿田彦神裔の大田命、佐奈県造彌志呂宿禰などを奉祀させた。
第22代雄略天皇22年、倭姫命は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)ほかを定めた。
その際、猿田彦神霊、猿女命神霊を、外に移して当宮の末社とし、新たに、豊受大神分身、伊吹戸主神を奉斎せしめたという。
当社は山添大明神、白髭大明神、鑰取大明神などとも称した。
白髭大明神は近江国志賀郡境打下の白髭大明神猿田彦神と同神で、また鑰取大明神は、猿田彦神が漁撈の神であり、加岐止利が加伊止利と通音であることに基づくという。
『倭姫命世記』に、「乙若子命は、麻神・草霊等を倭姫命に進って、祓へとした。陪従の人に及ぶまで弓剱を留めて、兵と共に飯野高丘に入り座して、遂に五十鈴宮に向ふを得た。
爾来、天皇の太子、斎宮、駅使・国司人等に至るまで、川辺で祓へをし、鈴声を止む。その儀の所縁である」とある。
つまり、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』にある、天照大神を奉斎した倭姫命が4年間滞在した「飯野高宮(高丘宮、飯野ノ高宮などとも)」の伝承地。
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。かつては神山の山頂にあったが、南北朝時代に神山城が築かれる頃に現在地の山麓に降りたという。
なお、元伊勢「飯野高宮」の候補地は他に、すべて市内で、神戸神館神明社、牛庭神社、久尓都神社(加世智神社に合祀)、滝野神明社(水屋神社に合祀)、花岡神社(飯高町宮前)がある。
明治40年(1907年)に三玉神社(山添町)、明治41年(1908年)に須賀神社(安楽町)など23社を合祀。
昭和期に、櫛田神社(櫛田町)、清水神社(清水町)、須賀神社(安楽町)、宇気比神社(山下町)、須賀神社(伊賀町)、豊原神社(豊原町)など21社を分祀。
例祭は11月23日。境内には紀勢本線が走る線路があり、いわゆる踏切がある神社の一つ。偶然だろうが、御祭神猿田彦命の道案内、道祖神的な性質と符合するのは興味深い。
【ご利益】
開運、厄除け、方位除け、交通安全、芸能(社頭掲示板)

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・元伊勢「飯野高宮」(いいのたかみや) - 伊勢国、元伊勢の第二十、神社・地名譚説話へ
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飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)は、三重県松阪市山添町にある神社。単に神山神社とも。元伊勢の一つ。
『延喜式神名帳』にある「神山神社(伊勢国・飯野郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
「神山神社」だけで検索してしまうと、似た名前の著名な神社である鳥取県の大神山神社がヒットする可能性があるが、もちろん別の神社。
「松坂市 神山神社」「飯野高宮神山神社」などでの検索が必要。
御祭神は猿田彦命、天鈿女命。
『神山神社記』によれば、第11代垂仁天皇25年、天照大神が伊蘇宮(伊蘓宮)に遷幸した後、猿田彦神霊と天鈿女命の苗裔猿女命を当宮の仮主と定め、田上石楯が奉仕した。
しかし石楯が老齢のため、これを辞した。倭姫命は、猿田彦神裔の大田命、佐奈県造彌志呂宿禰などを奉祀させた。
第22代雄略天皇22年、倭姫命は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)ほかを定めた。
その際、猿田彦神霊、猿女命神霊を、外に移して当宮の末社とし、新たに、豊受大神分身、伊吹戸主神を奉斎せしめたという。
当社は山添大明神、白髭大明神、鑰取大明神などとも称した。
白髭大明神は近江国志賀郡境打下の白髭大明神猿田彦神と同神で、また鑰取大明神は、猿田彦神が漁撈の神であり、加岐止利が加伊止利と通音であることに基づくという。
『倭姫命世記』に、「乙若子命は、麻神・草霊等を倭姫命に進って、祓へとした。陪従の人に及ぶまで弓剱を留めて、兵と共に飯野高丘に入り座して、遂に五十鈴宮に向ふを得た。
爾来、天皇の太子、斎宮、駅使・国司人等に至るまで、川辺で祓へをし、鈴声を止む。その儀の所縁である」とある。
つまり、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』にある、天照大神を奉斎した倭姫命が4年間滞在した「飯野高宮(高丘宮、飯野ノ高宮などとも)」の伝承地。
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。かつては神山の山頂にあったが、南北朝時代に神山城が築かれる頃に現在地の山麓に降りたという。
なお、元伊勢「飯野高宮」の候補地は他に、すべて市内で、神戸神館神明社、牛庭神社、久尓都神社(加世智神社に合祀)、滝野神明社(水屋神社に合祀)、花岡神社(飯高町宮前)がある。
明治40年(1907年)に三玉神社(山添町)、明治41年(1908年)に須賀神社(安楽町)など23社を合祀。
昭和期に、櫛田神社(櫛田町)、清水神社(清水町)、須賀神社(安楽町)、宇気比神社(山下町)、須賀神社(伊賀町)、豊原神社(豊原町)など21社を分祀。
例祭は11月23日。境内には紀勢本線が走る線路があり、いわゆる踏切がある神社の一つ。偶然だろうが、御祭神猿田彦命の道案内、道祖神的な性質と符合するのは興味深い。
【ご利益】
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