三重県亀山市、サルタヒコ祀る元伊勢「奈其波志忍山宮」の伝承地
[住所]三重県亀山市野村4-4-65
[電話]0595-83-3756
忍山神社(おしやまじんじゃ)は、三重県亀山市野村にある神社。主祭神は猿田比古命。
『延喜式神名帳』にある「忍山神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
鈴鹿川の北岸近く、集落の南はずれに鎮座する。すぐ南に関西本線の線路が走る。野村町の東北隅に愛宕山と呼ばれる海抜90メートルの丘陵があり、この南麓地点が旧社地と推定されている。
この旧地に神宮寺として神福寺と共にあったが、文明4年(1472年)に、兵火によりことごとく灰燼に帰した。いま野村にある慈恩寺は神福寺の遺蹟とされている。
その後、仮殿に祀られた。永禄の戦乱(1565年前後)には、一時兵火を避けて白木山に御神体を奉遷したといわれ、中世におけるその荒廃は著しかった。
この地は伊勢大神の遷幸の地であるとされ、倭姫命が天照大神を奉じ、桑名野代宮から鈴鹿に来た際、この忍山にて神宮を奉斎した忍山神宮の旧跡という。
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の一つである可能性がある。
『皇太神宮儀式帳』に「河曲鈴鹿小山宮」、『倭姫命世記』に「奈其波志忍山宮」とある、天照大神を奉斎した倭姫命が滞在した元伊勢の伝承地の一つ。
日本武尊の妃弟橘媛は当社祀官忍山宿禰(オシヤマノスクネ)の娘と伝えられている。市内田村町には能褒野神社がある。
現在までに、天照皇大神・天照皇大神荒魂、倭姫命、太玉命、天児屋根命、大比古命、乙若子命・大若子命(伊勢神宮の豊受大神宮<外宮>摂社大間国生神社の御祭神)、天鈿女命、大山祇命、豊宇賀乃売命、神吾田鹿葦津姫命・木花開耶姫神、饒速日命、大水口宿根(饒速日命の子孫)、忍山宿禰、建速須佐之男命、大名牟地命、伊弉諾神、伊弉冉神、市杵島姫命、菅原道真、伊香我色雄命(第9代開化天皇の皇后の兄)が配祀、合祀されている。
なお、元伊勢「奈其波志忍山宮」の候補地には他に、市内布気町にある布気皇館太神社がある。
また、式内社「忍山神社」についても、布気皇館太神社を比定する説があり、当社を式内社「布氣神社/布気神社」に比定する場合もある。
【ご利益】
方位除け、交通安全、開運、厄除け
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
[電話]0595-83-3756
忍山神社(おしやまじんじゃ)は、三重県亀山市野村にある神社。主祭神は猿田比古命。
『延喜式神名帳』にある「忍山神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
鈴鹿川の北岸近く、集落の南はずれに鎮座する。すぐ南に関西本線の線路が走る。野村町の東北隅に愛宕山と呼ばれる海抜90メートルの丘陵があり、この南麓地点が旧社地と推定されている。
この旧地に神宮寺として神福寺と共にあったが、文明4年(1472年)に、兵火によりことごとく灰燼に帰した。いま野村にある慈恩寺は神福寺の遺蹟とされている。
その後、仮殿に祀られた。永禄の戦乱(1565年前後)には、一時兵火を避けて白木山に御神体を奉遷したといわれ、中世におけるその荒廃は著しかった。
この地は伊勢大神の遷幸の地であるとされ、倭姫命が天照大神を奉じ、桑名野代宮から鈴鹿に来た際、この忍山にて神宮を奉斎した忍山神宮の旧跡という。
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の一つである可能性がある。
『皇太神宮儀式帳』に「河曲鈴鹿小山宮」、『倭姫命世記』に「奈其波志忍山宮」とある、天照大神を奉斎した倭姫命が滞在した元伊勢の伝承地の一つ。
日本武尊の妃弟橘媛は当社祀官忍山宿禰(オシヤマノスクネ)の娘と伝えられている。市内田村町には能褒野神社がある。
現在までに、天照皇大神・天照皇大神荒魂、倭姫命、太玉命、天児屋根命、大比古命、乙若子命・大若子命(伊勢神宮の豊受大神宮<外宮>摂社大間国生神社の御祭神)、天鈿女命、大山祇命、豊宇賀乃売命、神吾田鹿葦津姫命・木花開耶姫神、饒速日命、大水口宿根(饒速日命の子孫)、忍山宿禰、建速須佐之男命、大名牟地命、伊弉諾神、伊弉冉神、市杵島姫命、菅原道真、伊香我色雄命(第9代開化天皇の皇后の兄)が配祀、合祀されている。
なお、元伊勢「奈其波志忍山宮」の候補地には他に、市内布気町にある布気皇館太神社がある。
また、式内社「忍山神社」についても、布気皇館太神社を比定する説があり、当社を式内社「布氣神社/布気神社」に比定する場合もある。
【ご利益】
方位除け、交通安全、開運、厄除け

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