古い祭祀形態を示す御祭神、元伊勢「伊久良河宮」の伝承地
[住所]岐阜県瑞穂市七崎84
[電話]-
天神神社(てんじんじんじゃ)は、岐阜県瑞穂市にある神社。近代社格では郷社。御祭神は高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)、神皇産霊神(カミムスヒノカミ)。天神と言っても菅原道真ではなく、古い形態の祭祀を残していることが御祭神からもうかがえる。元伊勢の一つ。
『倭姫命世記』によれば、第十一代垂仁天皇10年、倭姫命(ヤマトヒメ)が天照大神(アマテラス)の御霊代を祀る地を探し、淡海国坂田宮より美濃国伊久良河の地にたどり着き、この地に4年滞在したと伝えるが、当社はこの「伊久良河宮」として、この地に宮が造られたのが始まると伝えられる。
本殿右にある御船代石(みふなしろいし)はその時に天照大神の神輿を安置した跡とも伝える。その後、倭姫命は生津から2艘の木船で川を下り、尾張国神戸(現一宮市)にたどり着き、中島宮に滞在することとなる。
社伝によれば、社殿建立以前は一帯が禁足地とされ、御船代石を憑代に祭祀が行われていた。御船代石の周囲からは神獣文鏡6面や硬玉製を始めとする30個余りの勾玉が出土しており、古代の祭祀遺跡であることは間違いない。
御船代石周辺に二社の境内社が鎮座し、それぞれ伊勢の神宮(伊勢神宮)の分霊と倭姫命を祀っている。
江戸時代には旗本の青木氏の崇敬を受け、現在の本殿は元禄年間(1688年-1704年)の造替。現在は市の指定文化財になっている。明治以前は「伊久良河宮 天神宮」や「天津神神社」とも呼ばれていたが、明治6年(1873年)、現社号に改称して郷社に列した。
この地域で多く栽培される柿の一種である富有の原木があり、「富有柿発祥の地の碑」の記念碑がある。
なお、元伊勢「伊久良河宮」は岐阜県内の安八郡安八町に、名木林神社、宇波刀神社の二社がある。
【ご利益】
縁結び、開運、厄除け

【関連記事】
・元伊勢「伊久良河宮」(いくらがわのみや) - 美濃国、瑞穂市や安八町 - 元伊勢
・『倭姫命世記』(7) - ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
・岐阜県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岐阜県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
天神神社(てんじんじんじゃ)は、岐阜県瑞穂市にある神社。近代社格では郷社。御祭神は高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)、神皇産霊神(カミムスヒノカミ)。天神と言っても菅原道真ではなく、古い形態の祭祀を残していることが御祭神からもうかがえる。元伊勢の一つ。
『倭姫命世記』によれば、第十一代垂仁天皇10年、倭姫命(ヤマトヒメ)が天照大神(アマテラス)の御霊代を祀る地を探し、淡海国坂田宮より美濃国伊久良河の地にたどり着き、この地に4年滞在したと伝えるが、当社はこの「伊久良河宮」として、この地に宮が造られたのが始まると伝えられる。
本殿右にある御船代石(みふなしろいし)はその時に天照大神の神輿を安置した跡とも伝える。その後、倭姫命は生津から2艘の木船で川を下り、尾張国神戸(現一宮市)にたどり着き、中島宮に滞在することとなる。
社伝によれば、社殿建立以前は一帯が禁足地とされ、御船代石を憑代に祭祀が行われていた。御船代石の周囲からは神獣文鏡6面や硬玉製を始めとする30個余りの勾玉が出土しており、古代の祭祀遺跡であることは間違いない。
御船代石周辺に二社の境内社が鎮座し、それぞれ伊勢の神宮(伊勢神宮)の分霊と倭姫命を祀っている。
江戸時代には旗本の青木氏の崇敬を受け、現在の本殿は元禄年間(1688年-1704年)の造替。現在は市の指定文化財になっている。明治以前は「伊久良河宮 天神宮」や「天津神神社」とも呼ばれていたが、明治6年(1873年)、現社号に改称して郷社に列した。
この地域で多く栽培される柿の一種である富有の原木があり、「富有柿発祥の地の碑」の記念碑がある。
なお、元伊勢「伊久良河宮」は岐阜県内の安八郡安八町に、名木林神社、宇波刀神社の二社がある。
【ご利益】
縁結び、開運、厄除け

【関連記事】
・元伊勢「伊久良河宮」(いくらがわのみや) - 美濃国、瑞穂市や安八町 - 元伊勢
・『倭姫命世記』(7) - ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
・岐阜県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岐阜県に鎮座している神社の一覧
コメント