元伊勢の坂田宮(内宮)と、式内社の岡神社(外宮)という両宮の神社
[住所]滋賀県米原市近江町宇賀野835-2
[電話]0749-52-1894

坂田神明宮(さかたしんめいぐう)は、滋賀県米原市にある神明神社。近代社格は県社

『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』にある元伊勢の伝承地・坂田宮(内宮)と、『延喜式神名帳』にある「岡神社(近江国・坂田郡)」に比定される式内社(小社)の論社である岡神社(外宮)からなる。

御祭神は坂田宮が天照皇大神、岡神社が豊受毘売命

天皇の命を受けて伊勢の大神(天照皇大神)の鎮座地を求めた倭姫命は第11代垂仁天皇8年に「甲可日雲宮」から「坂田宮」に遷り、2年間奉斎した。

「坂田宮」の跡地に命の徳を偲んで祀ったのが坂田宮の起源。古くから「坂田大神宮」とも称し、近江国坂田郡の総社として信仰を集めた。

また当地は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の御厨であった坂田御厨が置かれた地でもあり、その起源は倭姫命が来た時に献上された神田にあるという。

岡神社は、近世には「岡天王社」「若宮」と称された。社伝によれば、第6代孝安天皇の御世に宇賀野魂命(別称として豊受毘売命)が降臨し、時を同じくして筑摩村に御食都神(みけつかみ)、岩脇村に大歳神が降臨、この三神を合わせて「筑摩三所の神」と称したという。

また鎮座地「宇賀野」は「宇賀野魂」という神名にちなんだもの。その後、延喜の制で近江国の小社(国幣小社)に列した坂田郡「岡神社」であるとされ、後に坂田宮に合祀されたという。

後に建武の兵乱で兵火に罹ったために佐々木秀綱によって再建されたものの、応仁の乱以降も再々兵燹に遭ったために漸次荒廃していった。

江戸時代中期の享保18年(1733年)に、時の彦根藩主井伊直惟の崇敬を受けて再興された。

「彦根中将直惟は鬼門鎮護の神として当社崇敬の念厚く社殿を造営して近江七郡の五穀豊穣の御祈願所とされ」、社頭も整備されて以降、彦根藩からの厚い保護を受けた。

明治14年(1881年)2月1日に郷社に列し、明治41年(1908年)4月29日に神饌幣帛料供進社に指定、昭和20年(1945年)には県社に昇格した。

境内社に、伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の七別宮にならった七所宮、豊受大神宮(外宮)の四別宮にならった四所宮、倭姫社がある。重要文化財として、後陽成天皇宸翰天照皇大神神号掛軸がある。

5月1日に「蹴り奴振り」が行われる。井伊直惟が参詣した際の行列の様子を模倣したものといわれる。

【ご利益】
方除け、五穀豊穣、財運、開運
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