地名の三雲は日雲からの転化、元伊勢「甲可日雲宮」伝承地
[住所]滋賀県湖南市三雲1013
[電話]-
神明宮(しんめいぐう)は、滋賀県湖南市にある円通山上乗寺の境内にある宮。現在、祭祀が続けられているかどうか不明。元伊勢伝承がある。
上乗寺(臨済宗)は、古くは雲野山天号寺と称し、南禅寺仏燈国師の開山という。この地の三雲定持らが壇徒だったが、織田信長が三雲城を攻めた際の兵火で焼失した。
その後、大厳が中興し、慶安元年(1648年)には木食回道が住み、観音山上乗寺と改めた。元禄5年(1692年)、妙心寺に属したが、享和年間(1801年-1804年)に火災に遭い全焼。
本寺はもと観音山北麓にあったが、今の地の神明宮境内に建立し、円通山上乗寺と改めた。村人達が兵火から守り続けた本尊の木造十一面観音立像は、優美な姿として知られている。
この神明宮が、天照大神を奉斎した倭姫命が4年間滞在した、『日本書紀』に「近江国」、『倭姫命世記』に「甲可日雲宮」とある元伊勢の伝承地の一つ。
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。地名の三雲は、「甲可日雲宮」の日雲が訛って転化したというのが通説。
なお、元伊勢「甲可日雲宮」の候補地は多く、その他に、甲賀市に土山町頓宮の甲可日雲、土山町鮎河の三上六所神社に合祀された大神宮社、土山町大河原の若宮神社境内社である皇大神宮、信楽町多羅尾の高宮神社、甲南町池田の桧尾神社、信楽町牧の日雲神社、水口町神明の日雲宮、水口町東林口の五十鈴神社、水口町高山の笠山神社、水口町北内貴の川田神社、土山町頓宮の川田神社、土山町北土山の田村神社と、湖南市に夏見の神明神社がある。
【ご利益】
-
【関連記事】
・元伊勢「甲可日雲宮」(こうかひくものみや) - 伊賀から甲賀へ近江国 - 元伊勢
・『倭姫命世記』(7) - ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
・滋賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、滋賀県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
神明宮(しんめいぐう)は、滋賀県湖南市にある円通山上乗寺の境内にある宮。現在、祭祀が続けられているかどうか不明。元伊勢伝承がある。
上乗寺(臨済宗)は、古くは雲野山天号寺と称し、南禅寺仏燈国師の開山という。この地の三雲定持らが壇徒だったが、織田信長が三雲城を攻めた際の兵火で焼失した。
その後、大厳が中興し、慶安元年(1648年)には木食回道が住み、観音山上乗寺と改めた。元禄5年(1692年)、妙心寺に属したが、享和年間(1801年-1804年)に火災に遭い全焼。
本寺はもと観音山北麓にあったが、今の地の神明宮境内に建立し、円通山上乗寺と改めた。村人達が兵火から守り続けた本尊の木造十一面観音立像は、優美な姿として知られている。
この神明宮が、天照大神を奉斎した倭姫命が4年間滞在した、『日本書紀』に「近江国」、『倭姫命世記』に「甲可日雲宮」とある元伊勢の伝承地の一つ。
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。地名の三雲は、「甲可日雲宮」の日雲が訛って転化したというのが通説。
なお、元伊勢「甲可日雲宮」の候補地は多く、その他に、甲賀市に土山町頓宮の甲可日雲、土山町鮎河の三上六所神社に合祀された大神宮社、土山町大河原の若宮神社境内社である皇大神宮、信楽町多羅尾の高宮神社、甲南町池田の桧尾神社、信楽町牧の日雲神社、水口町神明の日雲宮、水口町東林口の五十鈴神社、水口町高山の笠山神社、水口町北内貴の川田神社、土山町頓宮の川田神社、土山町北土山の田村神社と、湖南市に夏見の神明神社がある。
【ご利益】
-
【関連記事】
・元伊勢「甲可日雲宮」(こうかひくものみや) - 伊賀から甲賀へ近江国 - 元伊勢
・『倭姫命世記』(7) - ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
・滋賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、滋賀県に鎮座している神社の一覧
コメント