国史見在社「伊賀津彦神」か、あるいは式内社 祭祀遺跡や古墳も
[住所]三重県伊賀市猪田5139
[電話]0595-21-4850

猪田神社(いだじんじゃ)は、三重県伊賀市猪田にある神社。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 伊賀郡「猪田神社」に比定される式内社(小社)の論社。式内社「比々岐神社」の論社を合祀している。

現社名への改称は明治になってからだが、一説には国史見在社「伊賀津彦神」とも。御祭神は武伊賀津別命(たけいがつわけのみこと)。

式内社「猪田神社」の論社である同市内下郡の同名神社では猪田神(いだのかみ)で、第11代垂仁天皇の皇子意知別命三世の孫で、第13代成務天皇の御代に伊賀の国造に任ぜられた、伊賀津彦神(いがつひこ)などとも呼ばれる、同一の神。

相殿神は、少毘古那命上筒男命中筒男命底筒男命健速須佐之男命天兒屋根命健御名方命、速玉男命、事解男命、大物主命大山咋命大山祇命金山毘古命蛭子命猿田彦命応神天皇菅原道真

多彩、を通り越して、日本の主要な神が大集合している。伊賀や三重県は明治期の神社統合が激しかったことが知られ、こうした多くの神々が合祀されているのはよくある光景で、典型例。

創建年代は不詳。当初は猪田村の宮と言われていたようであるが、天正18年(1590年)の棟札には住吉大明神と書かれており、少なくとも中世以降は住吉神社と考えられていた。

明治22年(1889年)、猪田村・山出村・上之庄村・笠部村が合併して猪田村となり、明治41年(1908年)に村内各神社を合祀後、現社号に改称。

神奈備丘頂上附近には榊の古木が多く、山宮の跡と伝えられ、西南の谷にある夫婦塚池遺跡は11世紀の黒色土器などを出し、祭祀遺物かと思われている。

社殿西側には磐座が、背後には猪田神社古墳、前方には姫塚古墳、丘陵東麓には天真名井、北方には山神祠・四角形石灯篭及び行者堂がある。

宮坊善福寺は現在社宅になっている。参道東側には津島神社が、西方の飛地境内には金比羅神社があった。

また旧大内郷の菅原神社(天満天神)は中世以降上之庄村と下之庄村で3年毎に遷座されていたが、現在も当社と菅原大邊神社との間で遷座が引き継がれている。

境内には真名井と真名井神社があるが、一般的に元伊勢とされるのは、式内社「猪田神社」の論社である市内下郡の同名神社の方。

また、式内社「比々岐神社」の他の論社に、市内北山に式内同名神社がある。

【ご利益】
当地開拓の神、海上・交通安全、厄除け
猪田神社 三重県伊賀市猪田
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