神武建国以来の創祀、春日神ともゆかりの深い式内社で元伊勢
[住所]三重県名張市平尾3322
[電話]0595-63-0486、0595-64-0659

宇流冨志禰神社(うるふしねじんじゃ)は、三重県名張市平尾にある神社。主祭神は宇奈根命(うなねのみこと)。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 名張郡「宇流冨志禰神社/宇流富志弥神社」に比定される式内社(小社)。近代社格は県社

水、穀物の神であり、元々の御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にあることから、うねる→うなね(宇奈根)となったと言われている。

当社名も「潤うふし水」を語源とするという。初代神武天皇の建国の際、祀られた神であるとの伝承がある。

武甕槌命經津主命、姫大神(ひめおおかみ)、大物主命火之迦具士命宇迦之魂命建速須佐之男命天兒屋根命応神天皇仁徳天皇が配祀されている。

『倭姫命世記』にある天照大神を奉斎した倭姫命が2年間滞在した「隠市守宮」の候補地で、元伊勢の一つであり、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。

飛鳥時代、天武天皇の時、圭田42束、四箇所の神田をもって祭祀し、放正会が行われ、官幣の奉幣を受けること11回に及んだ。

奈良時代、『春日社記』では、武甕槌命が鹿島から春日に至る道中、当社地にとどまったことが当社の由来、としている。

しかし、そうなると春日大社創建の時となるため、これは当社そのものの創建を指しているのではないと思われる。しかし、当社が春日神とゆかりが深いことは配祀神からも明らか。

平安時代、『日本三代実録』清和天皇の貞観15年(873年)9月27日の条に当社名が見える。

安土桃山時代の天正13年(1585年)に伊賀に転封した領主の筒井定次の重臣である松倉豊後守勝重が名張に着任し、神領を寄進した。

また江戸時代前期の寛永13年(1636年)に藤堂宮内少輔高吉によりさらに神領を寄進された。

その後、祭祀には乗馬が出され、累代尊崇の社にして以来、名張の氏神として崇拝され現在に至っている。

神宝として、御神刀が三振と文化財として能面が四十五面(県文化財指定)ある。

なお、元伊勢「隠市守宮」の候補地は当社の他、同市内に、三輪神社(現在瀬古口稲荷神社に合祀、箕輪中村)、蛭子神社(鍛冶町)、田村大明神(現在美波多神社に合祀、東田原)、名居神社(下比奈知)がある。

【ご利益】
当地の氏神、厄払い、安産祈願、交通安全など(公式HP
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