元伊勢「吉備の名方浜宮」は和歌山県という伝承地 商売繁盛の神
[住所]和歌山県海南市日方600
[電話]073-482-1466
伊勢部柿本神社(いせべかきもとじんじゃ)は、和歌山県海南市にある神社。主祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、熊野久須毘命、市杵嶋姫命を配祀する。
当社御鎮座の由来は、『倭姫命世記』に第10代崇神天皇の御代、皇女豊鍬入姫命が天照大神の御霊代たる八咫鏡を奉じ、大神の鎮座すべき所を求めて諸国を巡行した際、崇神天皇54年から4年間、吉備の名方の濱の宮に鎮座したとある。
いわゆる元伊勢「名方浜宮」。伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。
徳川時代の学者、伴信反や『紀伊続風土記』によると、この吉備の名方の濱の宮は、いわゆる吉備国の吉備ではなく、現在の和歌山県海南市名高の井引の森跡であり、JR海南駅の東に大神宮遺跡という石碑が建っている所であるという。
これまで、大和から出発し、丹波、紀伊「奈久佐浜宮」(濱宮<和歌山県和歌山市毛見>)を経て、ここでいきなり吉備(その後大和に戻る)という巡行の道程を考えて、「名方浜宮」を吉備国に比定するよりも、「奈久佐浜宮」と同一の紀伊にした方が不自然ではない、という考えもある。
しかし、同所は海浜で、高潮や津波の被害の恐れがあったので、いつの頃からか、近くで安全な日方の東山、即ち現在の社地に遷座し、社殿は壮麗を極めたと伝えられている。
しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐の際焼失し、その後慶長9年(1605年)に再興、爾来当町の産土神、氏神として氏子の安泰と地方の繁栄に寄与してきた。
当社は日方浦の海運業が盛んであった徳川時代に海路安全と商売繁昌を祈願して奉納された千石船の模型並びに廻船絵馬8面、基部に多数の船名が刻まれた燈篭2対は全国的にも希少なもので、県文化財に指定されている。
本殿裏山は檜木、杉の大木が天をつき、鎮守の森を形成し、境内には御神木「なぎの大木」及び県木に指定されている「うばめ樫」の古木が繁茂している。
神脹行事の神輿渡御は神社の大神輿2基に続き、各町内からくり出す子供神輿が続き、町内をねり歩く。夏祭で奉納される「大作り物」は境内築山を背景に、歌舞伎や神話、昔話の一場面を人形、大道具、小道具で作りあげたもの。
海草地方の商業繁栄の中心となった当町では、大正年間より講社が組まれ、初ゑびすには吉兆を授け、日方のゑべすさんとして有名である。(和歌山県神社庁)
なお、元伊勢「名方浜宮」の伝承地は他に、岡山県に伊勢神社(岡山市北区番町)、内宮(岡山市南区浜野)、穴門山神社(倉敷市真備町妹)、穴門山神社(高梁市川上町高山市)、神明神社(総社市福井字神明)、広島県に今伊勢内宮外宮(福山市神村町)、和歌山県に国主神社(現在田殿丹生神社に合祀、有田郡有田川町長田)がある。
【ご利益】
海上安全、交通安全、商売繁盛(公式HP)

【関連記事】
・元伊勢「名方浜宮」(なかたのはまみや) - 吉備国、元伊勢の第五 - 元伊勢
・和歌山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、和歌山県に鎮座している神社の一覧
[電話]073-482-1466
伊勢部柿本神社(いせべかきもとじんじゃ)は、和歌山県海南市にある神社。主祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、熊野久須毘命、市杵嶋姫命を配祀する。
当社御鎮座の由来は、『倭姫命世記』に第10代崇神天皇の御代、皇女豊鍬入姫命が天照大神の御霊代たる八咫鏡を奉じ、大神の鎮座すべき所を求めて諸国を巡行した際、崇神天皇54年から4年間、吉備の名方の濱の宮に鎮座したとある。
いわゆる元伊勢「名方浜宮」。伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。
徳川時代の学者、伴信反や『紀伊続風土記』によると、この吉備の名方の濱の宮は、いわゆる吉備国の吉備ではなく、現在の和歌山県海南市名高の井引の森跡であり、JR海南駅の東に大神宮遺跡という石碑が建っている所であるという。
これまで、大和から出発し、丹波、紀伊「奈久佐浜宮」(濱宮<和歌山県和歌山市毛見>)を経て、ここでいきなり吉備(その後大和に戻る)という巡行の道程を考えて、「名方浜宮」を吉備国に比定するよりも、「奈久佐浜宮」と同一の紀伊にした方が不自然ではない、という考えもある。
しかし、同所は海浜で、高潮や津波の被害の恐れがあったので、いつの頃からか、近くで安全な日方の東山、即ち現在の社地に遷座し、社殿は壮麗を極めたと伝えられている。
しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐の際焼失し、その後慶長9年(1605年)に再興、爾来当町の産土神、氏神として氏子の安泰と地方の繁栄に寄与してきた。
当社は日方浦の海運業が盛んであった徳川時代に海路安全と商売繁昌を祈願して奉納された千石船の模型並びに廻船絵馬8面、基部に多数の船名が刻まれた燈篭2対は全国的にも希少なもので、県文化財に指定されている。
本殿裏山は檜木、杉の大木が天をつき、鎮守の森を形成し、境内には御神木「なぎの大木」及び県木に指定されている「うばめ樫」の古木が繁茂している。
神脹行事の神輿渡御は神社の大神輿2基に続き、各町内からくり出す子供神輿が続き、町内をねり歩く。夏祭で奉納される「大作り物」は境内築山を背景に、歌舞伎や神話、昔話の一場面を人形、大道具、小道具で作りあげたもの。
海草地方の商業繁栄の中心となった当町では、大正年間より講社が組まれ、初ゑびすには吉兆を授け、日方のゑべすさんとして有名である。(和歌山県神社庁)
なお、元伊勢「名方浜宮」の伝承地は他に、岡山県に伊勢神社(岡山市北区番町)、内宮(岡山市南区浜野)、穴門山神社(倉敷市真備町妹)、穴門山神社(高梁市川上町高山市)、神明神社(総社市福井字神明)、広島県に今伊勢内宮外宮(福山市神村町)、和歌山県に国主神社(現在田殿丹生神社に合祀、有田郡有田川町長田)がある。
【ご利益】
海上安全、交通安全、商売繁盛(公式HP)

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