広島県福山市の元伊勢「名方浜宮」の伝承地、秀吉ゆかりの杉も
[住所]広島県福山市神村町甲6002
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今伊勢内宮外宮(いまいせないぐうげぐう、今伊勢内宮・外宮)は、広島県福山市にある神社。今伊勢宮とも。近代社格は県社。境内で、内宮と外宮に分かれている。読みは境内案内による。

『倭姫命世記』にある天照大神を奉斎した豊鍬入姫命が4年間滞在した「名方浜宮」の候補地の一つであり、元伊勢の一つ。

伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。広島県内唯一の元伊勢伝承地。

当宮では、「名方浜宮」の旧跡に創建されたものであり、御神体の鏡にちなみ、鏡山とも呼ばれ、神村の地名もそのためとしている。

御祭神は、天照皇大神、豊受皇大神。境内社に伊勢内宮の別宮などに準じた、荒祭宮、伊蘇宮、伊雑宮、風宮、多賀神社、恵美須神社、天神社などがある。

境内案内では、『今伊勢神名注縁起』によると、応永33年(1426年)、平朝臣太夫末治が伊勢に参宮し、七夜参籠すると霊夢があり、鳥居に五寸の青目石があるのを国へ持ち帰るべしとお告げがあった。

泉州境水庄に帰り、同35年になって西国へ供奉すべしとの霊夢があった。

そこで摂津、播磨、備前、備中へ至るも何のしるしもなかったが、備後国沼陵郡神村庄の鏡山に至ると一足も進むことができなくなり、神慮にかなう地として石を安置した。

すると人々群集し、野気沼掃部守が社地を寄進し、同年2月に外宮を造り、正長2年(1429年)4月に内宮を造営したという。

文安2年(1445年)、神主荒木田平末次が願主となって領主杉原平朝臣政光が社殿を再興している。

文明8年(1476年。文明9年とする記もある)8月13日、火災に罹り、同10年11月に再建御遷宮が行われている。

その後、明応7年(1498年)、永正15年(1518年)、永禄4年(1561年)に社殿の再興修復があった。

江戸時代には福山藩主水野氏の崇敬篤く、元和8年(1622年)に内宮再興、寛永11年(1634年)に外宮の修復が行われた。今の社殿は大正8年(1919年)に造営された。昭和6年(1931年)、県社に列格。

境内には七本の杉があり、三杉・四杉と称している。豊臣秀吉が九州下向の時にこの地で餅菓子を食し、その時の杉楊枝七本を「みすき世すき」と唱えて挿し置いたものが芽を出したものという伝承がある。

なお、元伊勢「名方浜宮」の伝承地は他に、岡山県に伊勢神社(岡山市北区番町)、内宮(岡山市南区浜野)、穴門山神社(倉敷市真備町妹)、穴門山神社(高梁市川上町高山市)、神明神社(総社市福井字神明)、和歌山県に伊勢部柿本神社(海南市日方)、国主神社(現在田殿丹生神社に合祀、有田郡有田川町長田)がある。

【ご利益】
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