主祭神はヤマトタケル妃、古代から綿々と続く祭祀跡も
[住所]岡山県倉敷市真備町妹895
[電話]-
穴門山神社(あなとやまじんじゃ)は、岡山県倉敷市真備町妹にある神社。倉敷市と総社市の間にある高山の山頂から、少し南へ降りた場所に鎮座する。創建や沿革はほとんど不詳。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 下道郡「穴門山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
御祭神は、穴門武媛命。『日本書紀』にある吉備穴戸武媛か。とすれば、『古事記』の大吉備建比売(おおきびのたけひめ)に相当するか。であれば、日本武尊の妃の一人。
天照大神、倉稻魂神、仲哀天皇、少名彦命が配祀され、大己貴命、下照姫命、天穗日命などが合祀されている。中でも、仲哀天皇は穴門とは縁が深い。
一説によると、当社は、妹村長田という場所に古くから祀られていたが、出雲勢侵略により、その守護神・青穂明神が重視され、当社は衰微したという。
その後、江戸時代になり、寛保3年(1743年)に再興しようとしたところ、蜻蛉が描かれた六角形の神鏡が出土したといい、古代の祭祀遺跡であったことがうかがえる。
また、鎮座地・高山の麓からは、大正四年に銅鐸が出土している。
当社を『倭姫命世記』にある元伊勢の一つ「名方浜宮」に比定する向きもあるが、式内社「穴門山神社」の論社である高梁市にある同名の神社と混同されているかもしれない。
天照大神が配祀されているとはいえ、主祭神は日本武尊妃。当社は、元伊勢や、伊勢の神宮(伊勢神宮)との結びつきは強くない。
なお、元伊勢「名方浜宮」の伝承地は他に、岡山県に伊勢神社(岡山市北区番町)、内宮(岡山市南区浜野)、神明神社(総社市福井字神明)、広島県に今伊勢内宮外宮(福山市神村町)、和歌山県に伊勢部柿本神社(海南市日方)、国主神社(現在田殿丹生神社に合祀、有田郡有田川町長田)がある。
【ご利益】
地主神的なニュアンスが強いか。国家安寧、家内安全

【関連記事】
・元伊勢「名方浜宮」(なかたのはまみや) - 吉備国、元伊勢の第五 - 元伊勢
・岡山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岡山県に鎮座している神社の一覧
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穴門山神社(あなとやまじんじゃ)は、岡山県倉敷市真備町妹にある神社。倉敷市と総社市の間にある高山の山頂から、少し南へ降りた場所に鎮座する。創建や沿革はほとんど不詳。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 下道郡「穴門山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
御祭神は、穴門武媛命。『日本書紀』にある吉備穴戸武媛か。とすれば、『古事記』の大吉備建比売(おおきびのたけひめ)に相当するか。であれば、日本武尊の妃の一人。
天照大神、倉稻魂神、仲哀天皇、少名彦命が配祀され、大己貴命、下照姫命、天穗日命などが合祀されている。中でも、仲哀天皇は穴門とは縁が深い。
一説によると、当社は、妹村長田という場所に古くから祀られていたが、出雲勢侵略により、その守護神・青穂明神が重視され、当社は衰微したという。
その後、江戸時代になり、寛保3年(1743年)に再興しようとしたところ、蜻蛉が描かれた六角形の神鏡が出土したといい、古代の祭祀遺跡であったことがうかがえる。
また、鎮座地・高山の麓からは、大正四年に銅鐸が出土している。
当社を『倭姫命世記』にある元伊勢の一つ「名方浜宮」に比定する向きもあるが、式内社「穴門山神社」の論社である高梁市にある同名の神社と混同されているかもしれない。
天照大神が配祀されているとはいえ、主祭神は日本武尊妃。当社は、元伊勢や、伊勢の神宮(伊勢神宮)との結びつきは強くない。
なお、元伊勢「名方浜宮」の伝承地は他に、岡山県に伊勢神社(岡山市北区番町)、内宮(岡山市南区浜野)、神明神社(総社市福井字神明)、広島県に今伊勢内宮外宮(福山市神村町)、和歌山県に伊勢部柿本神社(海南市日方)、国主神社(現在田殿丹生神社に合祀、有田郡有田川町長田)がある。
【ご利益】
地主神的なニュアンスが強いか。国家安寧、家内安全

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