日前神宮・國懸神宮の元摂社、元伊勢「奈久佐浜宮」 健康増進に霊験あり
[住所]和歌山県和歌山市毛見1303
[電話]073-444-0925

濱宮(はまのみや、浜宮神社)は、和歌山県和歌山市にある神社。近代社格では村社。紀伊国一宮である日前神宮・國懸神宮の元摂社であり、両神宮の旧鎮座地。

また、『倭姫命世記』にある元伊勢の「奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)」。和歌山市西南部の岬(毛見崎/駒ノ御崎)の中程、古くは「名草の浜」と呼ばれた海岸部に東面して鎮座する。

御祭神は第一殿(主祭神)が天照皇大神、第二殿(配祀神)が天懸大神(あまかかすおおかみ)、国懸大神 (くにかかすおおかみ)であり、日前神宮・國懸神宮御祭神で、ともに天照皇大神の前霊(さきのみたま)。

『紀伊続風土記』の引く『(紀伊)国造家旧記』によれば、初代神武天皇の東征に際して、神鏡・日矛の二種の神宝を奉じた天道根命が両神宝の鎮座地を求め、紀伊国加太浦に来着したという。

天道根命(あまのみちねのみこと)は紀伊国造家の祖であり、この二種の神宝はいずれも日前神宮・國懸神宮の御神体である。

そこから木本を経て毛見郷南方の琴ノ浦(琴浦)に浮かぶ岩上に二種の神宝を奉安したのが創祀。以上のうち「加太浦」「木本」はそれぞれ加太春日神社木本八幡宮に比定される。

また「琴ノ浦」とは毛見崎の付け根から現・海南市側に広がっていた浜で、対岸の冷水浦(しみずうら)に向かって1丈程(およそ3メートル)の高さの大岩が並ぶ。

この岩に波が触れて琴の音のような響きをたてていたために「琴ノ浦」と称されたという。

『続風土記』によれば、日前神宮・國懸神宮が初めて鎮座した浜であるので、汚穢不浄の者を近づけず、もし禁を破れば祟りがあったという。

ただし、現在は埋め立てられて、住友金属の工場と関西電力の発電所が立ち並んでいる。

奈久佐浜宮は、第10代崇神天皇51年に造営、同54年に「吉備名方浜宮」へと遷座したと記す。元伊勢には珍しく、他の候補もなく、当社が「奈久佐浜宮」ということはほぼ間違いないとされる。

当社の鎮座する地名「毛見」の文献上の初見は、大治2年(1127年)に日前神宮・國懸神宮が神領の範囲を記した文書。毛見の地は古くから日前神宮・國懸神宮の神領とされていた。

中世を通じて「毛見郷」と呼ばれ、祭祀等において海産物を貢納する浦役が課された両神宮の神領として存続した。

『続風土記』によれば、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州征伐で荒廃、元和5年(1619年)の紀州藩初代藩主徳川頼宣の入国以降に再建された。

江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)に社殿を伊勢の神宮(伊勢神宮)に模した形式に改めたという。以後は紀州藩の庇護のもとに栄えたとされる。

明治に入り、村社に列した。また、明治10年(1877年)には日前神宮・國懸神宮の摂社と定められた。

現在は独立、日前神宮・國懸神宮が単立神社であるのに対して、当社は神社本庁に属している。

【ご利益】
健康増進(和歌山県神社庁
濱宮 - 日前神宮・國懸神宮の元摂社、元伊勢「奈久佐浜宮」 健康増進に霊験あり
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