道真遠祖の出身地・初瀬に鎮座する「日本最古の天神信仰のお宮」
[住所]奈良県桜井市初瀬14
[電話]0744-55-2300

與喜天満神社(よきてんまんじんじゃ)は、奈良県桜井市初瀬にある神社。与喜天満神社とも。初瀬の地、大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす與喜山(大泊瀬山・天神山)に鎮座する。

長谷寺(桜井市)がある初瀬山とほとんど隣接している。周辺は、国の天然記念物に指定されている与喜山暖帯林。菅公聖蹟二十五拝の第6番。

初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人が住んでおり、天慶9年(946年)9月18日の明け方、高貴な老人の夢を見た。

その2日後の9月20日、武麿の自宅の前の石の上にその高貴な翁が座っていた。それが現在の切石御旅所の地。

翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついて行き、翁は川で禊ぎをした。現在の中の橋詰め御旅所の地である。その後、十一面観音を参り、瀧蔵権現に参ると、急に黒雲が湧いてきてその翁を包んだ。

すると、翁は立派な衣冠装束姿となり「右大臣正二位天満神社菅原道真」と名乗り、「私はこの良き山に神となって鎮座しよう」と語って 言葉の通り神鎮まった。

天暦2年(948年)7月、武麿は神殿を建立した。これが当社の創祀。

與喜という神社号は、瀧蔵権現が道真の神霊に「良き地」だと伝えたことにちなむ。また、そのため「吉のお宮」とも。

また、寛平の頃(890年頃)、一人の樵夫が與喜山で仕事をしていた時、彼の小屋に誰かが「これを祭れ」といって木像を投げ入れた。

樵夫はその頃、長谷寺に道真が参詣に来たと聞いていたので、この像は公の作として祀った。この像が当社に現存する木造神像と伝えられる。

道真の先祖である野見宿禰が、初瀬の出雲の出身で、初めは土師氏と称していたこと、道真にとって初瀬は遠祖からの故郷だったとし、「わが国最古の天神信仰のお宮」という。

また、当社は泊瀬斎宮の跡ともしている。同市内の天神杜も泊瀬斎宮の伝承地とされる。

式内社「堝倉神社/鍋倉神社」は当社にほど近く、当社創建とも関連している素盞雄神社に合祀されているとされるが、当社では後方の鍋倉山の磐座を式内社に比定している。

長谷寺も含め、当社も『倭姫命世記』にある天照大御神を奉斎した豊鍬入姫命が8年滞在した「伊豆加志本宮」に比定される場合があるが、時代が合わない。

『日本書紀』にある「磯城厳橿之本」ともされる「伊豆加志本宮」はほぼ三輪山近辺、特に南方及び南東部に特定されている。

しかし、與喜山、初瀬山もその候補の一つとして考えられている。長谷寺や当社地一帯は、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる。

初瀬街道があり、伊勢との連携は古来より緊密だったことも考えられ、当社地一帯は元伊勢の一つである。

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與喜天満神社 - 道真遠祖の出身地・初瀬に鎮座する「日本最古の天神信仰のお宮」
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