由緒正しい式内社も凋落、元伊勢「吉佐宮」伝承地の一つ
[住所]京都府舞鶴市紺屋29
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笶原神社(やはらじんじゃ)は、京都府舞鶴市紺屋にある神社。「笶」は「笑」ではないが、笑原神社と誤表記される場合がある。

「やぶじんじゃ」「神明さん」「えばらじんじゃ」「えみはらじんじゃ」などとも称される。

『延喜式神名帳』にある「笶原神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格は無格社。

笶原とは「ヤブ」とも訓で但馬の養父(養父神社)と同義で、「ヤブ」は「ウブ」すなわち初生(ウブ)が源。

壬生(ミブ)、禰布(ミフ)、養父(ヤブ)の神はいずれも太古よりの土着神生えぬきの神社であり、一帯であるという。

『倭姫命世記』にあるトヨスキイリビメが巡歴した「吉佐宮」の伝承地の一つで、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の前身とも言うべき、元伊勢の一つ。

その他に、「吉佐宮」の候補としては、いずれも京都府内に皇大神社(福知山市)、真名井神社(丹後国一宮籠神社の奥宮。宮津市)、竹野神社(京丹後市)がある。

御祭神は、天照大神豊受大神月夜見神。創建は不詳。慶長年間(1596年-1615年)に領主だった細川家が再建。

寛文年間(1661年-1672年)、牧野家入国以前は地元の人々による崇敬が厚く、栄えた。その後衰退。

本殿は裏山の顕仁親王(後の第75代崇徳天皇<1119年-1164年>)の書という忠魂碑後方の山上にあるというが、氏子の紺屋町内約七十世帯の手では管理が行きとどかないため、御神体を下の拝殿に移した。

山上の本殿は明治36年(1903年)の建物だが、荒廃にまかせているという。本来は愛宕山山頂の、今の愛宕神社の地にあったと思われる。

鳥居には「総社笶原魚井匏宮」と書かれた大きな神額がある。字は清仁親王(第63代冷泉天皇の子、実際は第65代花山天皇皇子。約1000年前)書と伝えている。

なお、式内社「笶原神社」の論社は、市内野原八幡町の天満宮(天満神社)、与保呂の日尾池姫神社がある。また、淡路国三原郡にも同名の式内社がある。

【ご利益】
開運、五穀豊穣
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