式内三社を合祀した、摂社に相撲神社がある、奈良桜井の古社
[住所]奈良県桜井市穴師1065
[電話]0744-42-6420

穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)は、奈良県桜井市穴師にある神社。大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)とも。

『延喜式神名帳』大和国城上郡にある「穴師坐兵主神社」(名神大社・月次相嘗新嘗)、「巻向坐若御魂神社」(大社)、「穴師大兵主神社」(小社)の三社が室町時代に合祀した。近代社格は県社

『延喜式』巻11「玄蕃寮」に記載されている新羅から入朝した者に賜う神酒を作る工程の中で記された神社の一つか。

現鎮座地は穴師大兵主神社のあった場所。旧鎮座地は「弓月岳」であるが、比定地には竜王山、穴師山、巻向山の三つの説がある。

もとの穴師坐兵主神社は、第11代垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったとも、第12代景行天皇八千矛神(大国主)を兵主大神として祀ったともいう。

御祭神の「兵主神」は現在は中殿に祀られ、鏡を御神体とする。

当社では兵主神は御食津神であるとしているが、他に天鈿女命素盞嗚尊、天富貴命(天富命、天太玉命の孫)、建御名方命、伊豆戈命(大己貴神の分身)、大倭大国魂神とする説がある。

一方で、兵主神とは、漢の高祖が蚩尤(しゆう)を祀って勝利を祈ったことに由来し、武器製造の鍛冶屋神ともされる。

もとは巻向山中にあった巻向坐若御魂神社の御祭神・若御魂神は、稲田姫命のことであるとされる。和久産巣日神のことであるとする説もある。現在は右社に祀られ、勾玉と鈴を御神体とする。

上記の二社は、『正倉院文書』に天平2年(730年)に神祭を行った記録があり、貞観元年(859年)に従五位上の神階が授けられた。

穴師大兵主神社については鎮座年代は不詳。御祭神・大兵主神は現在は左社に祀られ、剣を御神体とする。大兵主神については、八千戈命(大国主)、素盞嗚命、天鈿女命、天日槍命という説がある。

中世ごろから、穴師坐兵主神社が穴師上社、穴師大兵主神社が穴師下社と呼ばれるようになった。

応仁の乱の時に若御魂神社と穴師上社の社殿が焼失したことから、この二社を穴師下社(大兵主神社)に合祀。明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和3年(1928年)に県社に昇格。

摂社として、野見宿禰を祀る相撲神社があり、相撲の祖神として信仰されている。

兵主神社の一つである。なお、式内社「巻向坐若御魂神社」は、大神神社の摂社である檜原神社も論社。

また、当社も檜原神社と同じく、『日本書紀』『倭姫命世記』にあるトヨスキイリビメが滞在したという「笠縫邑」に比定される場合がある、元伊勢の一つ。

元伊勢「笠縫邑」の伝承地は他にも数多く、いずれも奈良県で、檜原神社、笠縫神社(多坐弥志理都比古神社境外末社、磯城郡田原本町秦庄(秦楽寺境内))、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、笠山荒神宮(桜井市笠)、天神社(桜井市小夫)、飛鳥坐神社(高市郡明日香村大字飛鳥)がある。

【ご利益】
生産と平和の神、知恵の神、芸能の神、武勇の神、スポーツ(当社境内案内)
穴師坐兵主神社 - 式内三社を合祀した、摂社に相撲神社がある、奈良桜井の古社
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