大神神社の摂社、「笠縫邑」の地にアマテラスとトヨスキイリビメを祀る
[住所]奈良県桜井市三輪大字三輪1422
[電話]0744-45-2173

檜原神社(ひばらじんじゃ、桧原神社)は、奈良県桜井市三輪にある神社。大神神社の摂社。

『延喜式神名帳』にある「巻向坐若御魂神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社(大社)の論社。

『日本書紀』『倭姫命世記』にある豊鍬入姫命が滞在したという「笠縫邑」に比定される場合がある、元伊勢の一つ。「笠縫邑」の候補の中では最右翼とされる場合が多い。

「日原社」とも。大神神社末社の豊鍬入姫宮と接している。当社は天照大御神を、豊鍬入姫宮は第十代崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命を祀る。

崇神天皇の御世まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿」で祀られていたが、その6年、初めて皇女・豊鍬入姫命に命じて、宮中を離れ、当社の地に磯城神籬を立てて祀った。

天照大御神の伊勢遷幸のきっかけであり、この地を離れ、最終的に伊勢の神宮皇大神宮<内宮>)に落ち着いた後でも、この地に神社を創建して祀った。それが当社の由来。

北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」に位置し、すぐ西には同線上に箸墓古墳がある。その中間には国津神社がある。

また、すぐ東には、大神神社の御神体山である三輪山があり、さらに東は伊勢斎宮跡まで伸びる。

いわゆる元伊勢の一つ。古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが、室町時代以来の古図からも分かっている。

『万葉集』には「三輪の桧原」と歌われ、山の辺の道の歌枕となり、西に続く桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地として知られる。

桧原台地の麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残り、「茅原」はまた、『日本書紀』崇神天皇7年条にある「神浅茅原」の地とされる。西方の箸中には、豊鍬入姫命の陵墓とされるホケノ山古墳がある。

なお、式内社「巻向坐若御魂神社」の論社には、穴師坐兵主神社がある。穴師坐兵主神社は、「笠縫邑」の候補の一つでもある。

元伊勢「笠縫邑」の伝承地は他にも数多く、いずれも奈良県で、笠縫神社(多坐弥志理都比古神社境外末社、磯城郡田原本町秦庄(秦楽寺境内))、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、笠山荒神宮(桜井市笠)、天神社(桜井市小夫)、飛鳥坐神社(高市郡明日香村大字飛鳥)がある。

【ご利益】
開運、家内安全、旅行・交通安全
檜原神社 - 大神神社の摂社、「笠縫邑」の地にアマテラスとトヨスキイリビメを祀る
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