「笠縫邑」伝承地の一つ、泊瀬斎宮跡、顕宗期からのケヤキも
[住所]奈良県桜井市小夫3147
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天神杜(てんじんじゃ)は、奈良県桜井市小夫にある神社。地名を取って、小夫天神杜(おおぶてんじんじゃ)とも。古くは天神神社とも。斎宮山に鎮座する。
『日本書紀』『倭姫命世記』にあるトヨスキイリビメが滞在したという「笠縫邑」に比定される場合がある、元伊勢の一つ。
御祭神は中殿が天照皇大神、相殿に大來皇女命。東殿が天児屋根命(春日大神)、相殿が品陀別命、西殿が菅原道真(天満大自在天神)。
創建は詳かでないが、神道五部書に、第10代崇神天皇の御代に、「神戸大神宮、また天神宮と唱ふる」とあり、神戸は上之郷また小夫郷と、「『日本地理資料』に古は笠縫邑と云へり」とあって、いわゆる元伊勢の伝承地。
境内の西側に県下最古と云われている「ケヤキ」がある。社伝では、第23代顕宗天皇の御世、顕宗紀に日く、「殖槻也、田中乃杜也」とあり、これがそのものであれば実に樹齢1500年を超える。
第40代天武天皇の御代、大來皇女の泊瀬斎宮、旧跡伝承地でもある。同市内の與喜天満神社も泊瀬斎宮の伝承地とされる。
社伝に、第106代正親町天皇の御代、『古語拾遺』に、天正5年(1577年)9月2日、斎宮太夫小笠兵庫と署名せる、天照大神御幸神楽歌がある。
また、第96代後醍醐天皇の御代、本殿中門の脇に、嘉暦2年(1327年)に献納された石燈籠がある。
中世には神社附属として境内に神宮寺が建てられ、社僧を置き、真言宗長谷寺より輪番によって常勤、明治3年(1870年)まで続く。
同年社僧が廃止となり、明治8年(1875年)に神宮寺の社号が廃止。明治39年(1906年)4月28日、神餞幣帛料供進指定神社に列せられる。
【ご利益】
開運、家内安全、旅行・交通安全。学問
【関連記事】
・元伊勢「笠縫邑」(かさぬいのむら) - 大和国、当初の遷座地 - 元伊勢
・『倭姫命世記』(3) - 同殿共床との決別と、巡幸の始まり 皇女トヨスキイリビメ
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
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天神杜(てんじんじゃ)は、奈良県桜井市小夫にある神社。地名を取って、小夫天神杜(おおぶてんじんじゃ)とも。古くは天神神社とも。斎宮山に鎮座する。
『日本書紀』『倭姫命世記』にあるトヨスキイリビメが滞在したという「笠縫邑」に比定される場合がある、元伊勢の一つ。
御祭神は中殿が天照皇大神、相殿に大來皇女命。東殿が天児屋根命(春日大神)、相殿が品陀別命、西殿が菅原道真(天満大自在天神)。
創建は詳かでないが、神道五部書に、第10代崇神天皇の御代に、「神戸大神宮、また天神宮と唱ふる」とあり、神戸は上之郷また小夫郷と、「『日本地理資料』に古は笠縫邑と云へり」とあって、いわゆる元伊勢の伝承地。
境内の西側に県下最古と云われている「ケヤキ」がある。社伝では、第23代顕宗天皇の御世、顕宗紀に日く、「殖槻也、田中乃杜也」とあり、これがそのものであれば実に樹齢1500年を超える。
第40代天武天皇の御代、大來皇女の泊瀬斎宮、旧跡伝承地でもある。同市内の與喜天満神社も泊瀬斎宮の伝承地とされる。
社伝に、第106代正親町天皇の御代、『古語拾遺』に、天正5年(1577年)9月2日、斎宮太夫小笠兵庫と署名せる、天照大神御幸神楽歌がある。
また、第96代後醍醐天皇の御代、本殿中門の脇に、嘉暦2年(1327年)に献納された石燈籠がある。
中世には神社附属として境内に神宮寺が建てられ、社僧を置き、真言宗長谷寺より輪番によって常勤、明治3年(1870年)まで続く。
同年社僧が廃止となり、明治8年(1875年)に神宮寺の社号が廃止。明治39年(1906年)4月28日、神餞幣帛料供進指定神社に列せられる。
なお、元伊勢「笠縫邑」の伝承地は他にも数多く、いずれも奈良県で、檜原神社(大神神社摂社、桜井市三輪)、巻向坐若御魂神社(穴師坐兵主神社右殿、桜井市穴師)、笠縫神社(多坐弥志理都比古神社境外末社、磯城郡田原本町秦庄(秦楽寺境内))、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、笠山荒神宮(桜井市笠)、飛鳥坐神社(高市郡明日香村大字飛鳥)がある。
【ご利益】
開運、家内安全、旅行・交通安全。学問
【関連記事】
・元伊勢「笠縫邑」(かさぬいのむら) - 大和国、当初の遷座地 - 元伊勢
・『倭姫命世記』(3) - 同殿共床との決別と、巡幸の始まり 皇女トヨスキイリビメ
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