後醍醐天皇の建武新政を御霊として祀り上げるため? のような印象
建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)とは、建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする十五の神社である。近代社格では官幣大社(後醍醐天皇を祀る吉野神宮)1社、官幣中社(後醍醐天皇の子、皇族である親王を祀る)4社、別格官幣社(臣下)を祀る10社からなっていた。これらの神社は「建武中興十五社会」を結成している。
正式に制度化されたものではなく、後醍醐天皇による建武の新政が、それまでの武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そうとしたものであったために、明治になり、維新によって江戸幕府から実権を取り戻し明治政府を樹立した明治天皇にとって無関心ではいられず、続々と神社が整備されていった中で、南朝側の皇族・武将を主祭神とする神社をまとめて呼ぶ習わしができたと思われる。
明治政府や明治天皇が、これらの神社を続々と創建したのは、結果的に失敗に終わった(つまり怨霊と化した)「建武の新政」そのものを御霊として祀り上げるため、という見方もできる。明治政府や明治天皇は思われている以上に宗教的要素が濃厚だ。
一例として、鎌倉市にある鎌倉宮、浜松市にある井伊谷宮、吉野町にある吉野神宮、八代町にある八代宮はほぼ綺麗に一直線上に並んでいる。この十五社は他にも意味ありげな配置を示しているものもみられる。明らかに何らかの結界を想定していたようだ。
また、三木一草(さんぼくいっそう 楠木正成、結城親光、名和長年、千種忠顕の4人)と呼ばれる後醍醐天皇の建武新政下の重鎮のうち、千種忠顕だけ神社に祀られていない。この4人はいずれも足利軍との戦闘で戦死しており、正成は戦死地に祀られている(湊川神社)が、千種忠顕の戦死地である京都市左京区山瑞壱町田町には塚と伝えられているものと碑が建っているのみ。これも建武中興十五社の不思議の一つ。
[御祭神]後醍醐天皇
[創 建]明治25年(1892年)
[社 格]官幣大社 - 神宮号
[ご利益]御祭神の広大無辺な御神徳
[御祭神]護良親王
[創 建]明治2年(1869年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]交通安全、厄祓い、安産、家内安全など
[御祭神]宗良親王
[創 建]明治3年(1870年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]学徳成就・合格、長寿・除災開運
[御祭神]懐良親王
[創 建]明治17年(1884年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]勝運、必勝、上達運、縁結び
[御祭神]尊良親王・恒良親王
[創 建]明治23年(1890年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]縁結び、恋愛成就、難関突破、開運・金運招福
[御祭神]藤原師賢
[創 建]明治15年(1882年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]身代わりの神、回復の神、学芸の神
[御祭神]菊池武時、武重、武光
[創 建]明治3年(1870年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]勝運、出世運
[御祭神]楠木正成
[創 建]明治5年(1872年)
[社 格]別格官幣社 - 神戸三社
[ご利益]智・仁・勇の三徳、誠忠と正義
[御祭神]名和長年
[創 建]延宝5年(1677年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]武運長久、勝負運、厄除け
[御祭神]北畠親房、顕家
[創 建]明治23年(1893年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]安産、厄除、開運、交通安全、家内安全など
[御祭神]新田義貞
[創 建]明治3年(1870年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]文武両道、安産、厄除け、商売繁盛、社運隆昌など
[御祭神]結城宗広
[創 建]文政7年(1824年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]文武両道、勝負運、厄祓い
[御祭神]北畠親房、顕家、顕信、守親
[創 建]明治14年(1881年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]開運、強運、家運隆盛、武運長久、勝負運、厄除け
[御祭神]楠木正行
[創 建]明治23年(1890年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]勝負運、武運長久、厄祓い
[御祭神]北畠顕能
[創 建]寛永20年(1643年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]武運長久、勝負運、厄除け
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 「~大」などと呼ばれる神社の名数
正式に制度化されたものではなく、後醍醐天皇による建武の新政が、それまでの武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そうとしたものであったために、明治になり、維新によって江戸幕府から実権を取り戻し明治政府を樹立した明治天皇にとって無関心ではいられず、続々と神社が整備されていった中で、南朝側の皇族・武将を主祭神とする神社をまとめて呼ぶ習わしができたと思われる。
明治政府や明治天皇が、これらの神社を続々と創建したのは、結果的に失敗に終わった(つまり怨霊と化した)「建武の新政」そのものを御霊として祀り上げるため、という見方もできる。明治政府や明治天皇は思われている以上に宗教的要素が濃厚だ。
一例として、鎌倉市にある鎌倉宮、浜松市にある井伊谷宮、吉野町にある吉野神宮、八代町にある八代宮はほぼ綺麗に一直線上に並んでいる。この十五社は他にも意味ありげな配置を示しているものもみられる。明らかに何らかの結界を想定していたようだ。
また、三木一草(さんぼくいっそう 楠木正成、結城親光、名和長年、千種忠顕の4人)と呼ばれる後醍醐天皇の建武新政下の重鎮のうち、千種忠顕だけ神社に祀られていない。この4人はいずれも足利軍との戦闘で戦死しており、正成は戦死地に祀られている(湊川神社)が、千種忠顕の戦死地である京都市左京区山瑞壱町田町には塚と伝えられているものと碑が建っているのみ。これも建武中興十五社の不思議の一つ。
吉野神宮 (奈良県吉野郡吉野町)
[御祭神]後醍醐天皇
[創 建]明治25年(1892年)
[社 格]官幣大社 - 神宮号
[ご利益]御祭神の広大無辺な御神徳
鎌倉宮 (神奈川県鎌倉市)
[御祭神]護良親王
[創 建]明治2年(1869年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]交通安全、厄祓い、安産、家内安全など
井伊谷宮 (静岡県浜松市北区)
[御祭神]宗良親王
[創 建]明治3年(1870年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]学徳成就・合格、長寿・除災開運
八代宮 (熊本県八代市)
[御祭神]懐良親王
[創 建]明治17年(1884年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]勝運、必勝、上達運、縁結び
金崎宮 (福井県敦賀市)
[御祭神]尊良親王・恒良親王
[創 建]明治23年(1890年)
[社 格]官幣中社
[ご利益]縁結び、恋愛成就、難関突破、開運・金運招福
小御門神社 (千葉県成田市)
[御祭神]藤原師賢
[創 建]明治15年(1882年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]身代わりの神、回復の神、学芸の神
菊池神社 (熊本県菊池市)
[御祭神]菊池武時、武重、武光
[創 建]明治3年(1870年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]勝運、出世運
湊川神社 (兵庫県神戸市中央区)
[御祭神]楠木正成
[創 建]明治5年(1872年)
[社 格]別格官幣社 - 神戸三社
[ご利益]智・仁・勇の三徳、誠忠と正義
名和神社 (鳥取県西伯郡大山町)
[御祭神]名和長年
[創 建]延宝5年(1677年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]武運長久、勝負運、厄除け
阿部野神社 (大阪府大阪市阿倍野区)
[御祭神]北畠親房、顕家
[創 建]明治23年(1893年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]安産、厄除、開運、交通安全、家内安全など
藤島神社 (福井県福井市)
[御祭神]新田義貞
[創 建]明治3年(1870年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]文武両道、安産、厄除け、商売繁盛、社運隆昌など
結城神社 (三重県津市)
[御祭神]結城宗広
[創 建]文政7年(1824年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]文武両道、勝負運、厄祓い
霊山神社 (福島県伊達市)
[御祭神]北畠親房、顕家、顕信、守親
[創 建]明治14年(1881年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]開運、強運、家運隆盛、武運長久、勝負運、厄除け
四條畷神社 (大阪府四條畷市)
[御祭神]楠木正行
[創 建]明治23年(1890年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]勝負運、武運長久、厄祓い
北畠神社 (三重県津市)
[御祭神]北畠顕能
[創 建]寛永20年(1643年)
[社 格]別格官幣社
[ご利益]武運長久、勝負運、厄除け
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