初代伊勢国司で南朝奉護に尽くした北畠顕能を祀る、三重県津市の神社
[住所]三重県津市美杉町上多気1148
[電話]059-275-0615

北畠神社(きたばたけじんじゃ)は、三重県津市美杉町にある神社。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする。

近代社格では別格官幣社建武中興十五社の一社で、比較的長い由緒を持つ。現在は神社本庁の別表神社

北畠顕能(きたばたけ あきよし 嘉暦元年(1326年)-弘和3年/永徳3年(1383年)ごろ)は、南北朝時代の公卿・武将。

准三后北畠親房の三男で、顕家や顕信の弟。建武政権期に父兄とともに伊勢国へ下り、同国司に任じられた後、多気を拠点に退勢著しい南朝軍事力の支柱として武家方に対抗した。

伊勢北畠氏の祖。

由来書によれば、伊勢国司北畠家の9代当主北畠具房の四世孫である鈴木孫兵衛家次が寛永20年(1643年)3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀という。

ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間(1688年-1704年)まで下るとの説もある。

やがて八幡三神に倣い、主祭神の父である北畠親房と、兄である顕家も合祀。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にあったが、明治31年(1898年)に廃絶した。

明治14年(1881年)11月、村社北畠神社と改称。明治40年(1907年)12月、多芸村内の16社を合祀した。

大正5年(1916年)、宝庫・社務所などを整備。昭和3年(1928年)10月に社殿を新造して主神を遷座、11月10日に別格官幣社に昇格した。

境内一帯は、「北畠氏館跡庭園」としても知られ、現在の正式名称は「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」。紅葉の名所で、ライトアップされることもあったという。

なお、父の親房や兄の顕家は福島県伊達市の霊山神社、大阪市の阿部野神社でも祀られている。

【ご利益】
武運長久、勝負運、厄除け
北畠神社 - 初代伊勢国司で南朝奉護に尽くした北畠顕能を祀る、三重県津市の神社
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