「百万一心」中国地方の覇者・毛利元就を祀る、400年超の歴史ある古社
[住所]山口県山口市天花1-1-1
[電話]083-922-0666 - 豊榮神社・野田神社

豊榮神社(とよさかじんじゃ、豊栄神社)は、山口県山口市にある神社。近代社格は別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社野田神社(のだじんじゃ)と隣接し、豊榮神社・野田神社と称される場合があるが、別の法人格。参拝すれば、御朱印を頂ける。

戦国時代に中国地方に覇を唱え、後の長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就を「毛利元就公」として祀る。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの敗戦により、同年安芸国から長門国に移封された毛利輝元が、萩江向村の春日神社境内に祖父元就の霊(元就公)を祀ったのが前身。

同12年には春日神社は萩城の三の丸に遷座されたが、宝暦12年(1762年)、長州藩主重就が萩城二の丸に鎮座していた土地神社を改造して春日神社から元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命(アメノホヒ)と合祀して神性霊社と号した。

明和7年(1770年)には元就を仰徳大明神と称して、改めて主祭神とし、神社名も仰徳社と称した。

明治2年(1869年)、元就は正親町天皇の即位を援助するなど朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇は弁事五辻安仲を宣命使として差遣し、御祭神に「豊栄」の神号を与え、山口市の多賀神社境内に仮殿を構えて、仰徳社を移祠し、現社号に改称した。

同4年、岩倉具視が勅使として差遣され、剣1口を奉納し、同年現在地に現社殿が造営されて遷座、同6年に県社に列した後、同15年(1882年)には別格官幣社に列格した。

本殿は三間社流造。前方に梁間1間桁行5間の釣屋を建てる。釣屋は切妻造であるが奥寄り(本殿側)2間目は左右に1間の張り出しを設けて十字型の平面構成とし、前面は幣殿に接続する。幣殿は桁行3間梁間1間の入母屋造平入、左右からは廻廊が伸びる。幣殿の前方に方3間、入母屋造妻入の舞殿風の拝殿が建ち、その前方に神門を構える。以上、屋根は全て銅板葺。

また、平成9年(1997年)に境内に「百万一心」の碑が建てられた。毛利元就が吉田郡山城を増築する際に人柱に代えて「百万一心」と彫った石を埋めたという逸話に因むもので、その石は実際に郡山城廃城後に城跡から発見されており、境内絵馬殿には当社に奉納された石の拓本の額が展示されている。

国の重要文化財として、「絹本著色毛利元就像1幅」(絵画、昭和44年(1969年)6月20日)がある。縦97センチ、横49.8センチの掛幅装で、大紋、侍烏帽子を著して扇を持ち、合口を差した元就の座像。県立山口博物館に寄託されている。

なお、島根県大田市の石見銀山の近くにも、毛利元就を御祭神とする同名の神社がある。

当社北西数百メートルに、瑠璃光寺(るりこうじ)、日本の歴史公園100選の一つ香山公園があり、香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。

【ご利益】
武運長久、勝負運、厄除け
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