豊臣秀吉を祀る本宮、家康に廃絶させられるが明治に復興
[住所]京都府京都市東山区大路正面茶屋町530
[電話]075-561-3802

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊国神社の一つで、総本社とされる。

豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の指示により再興された。近代社格は別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。京都十六社朱印めぐりの一社。

当社の他、主祭神の居城があった大阪市の大阪城公園や、出身地の名古屋市中村区、また滋賀県長浜市石川県金沢市徳島県小松島市福岡県福岡市博多区などにも豊臣秀吉を祀る同名の神社がある。

豊臣秀吉の遺体は火葬されることなく、伏見城内に安置されていたが、死去の翌年の慶長4年(1599年)4月13日、遺命により東山大仏(方広寺)の東方の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され(『義演准后日記』『戸田左門覚書』)、その麓に廟所が建立されたのに始まる。

秀吉は奈良東大寺大仏殿を鎮護する手向山八幡宮に倣い、自身を「新八幡」として祀るように遺言したといわれる。「大仏の鎮守」として着工された社は、秀吉の死が明らかになるのに合わせるように「新八幡社」と呼ばれるようになる。

慶長4年(1599年)4月16日、朝廷から新八幡ではなく、「豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)」の神号が与えられ、兵威を異域に振るう武の神と説明されている。4月18日に遷宮の儀が行われ、社は「豊国神社」と命名された。

なお、豊国神社は豊臣秀頼の希望により大坂城内にも分祀された。秀頼自身は本社創建の際には参列しておらず、慶長16年の二条城訪問の折に最初で最後となる参拝を行っている。

毎年8月18日の秀吉の年忌には豊国祭と呼ばれる盛大な祭りが行われるようになった。特に慶長9年度の豊国祭は「豊国祭図屏風」に描かれるなどして有名。

秀吉の3回忌に当たる慶長5年(1600年)には、ゆかりの地である長浜に豊国神社が創建された。

元和元年(1615年)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川家康の意向により後水尾天皇の勅許を得て豊国大明神の神号は剥奪され、方広寺の鎮守とすべく、秀吉の霊は「国泰院俊山雲龍大居士」と名を変えられ以後仏式で祀ることと定められた。

神社は家康の意向に従い徳川幕府により廃絶され、秀吉の霊は大仏殿裏手南東に建てられた五輪石塔(現:豊国神社宝物館後方)に遷された。

秀吉の室北政所のたっての願いで社殿は残されたものの、以後朽ち果てるままに放置された。旧参道内には新日吉神社(いまひえじんじゃ)が遷せられて当社参拝の道も閉ざされた。

なお滋賀県竹生島にある都久夫須麻神社の本殿は当社社殿を移築したものと伝えられている。

寛文2年(1662年)6月に京都で地震が起きたとき、当社周辺に被害がなかったため、地震除けの流行神として参詣者が集まった。また民間では起請文の対象として豊国大明神が密かに使用された事例もある。

慶応4年(1868年)閏四月、明治天皇が大阪に行幸したとき、秀吉を「皇威を海外に宣べ、数百年たってもなお寒心させる、国家に大勲功ある今古に超越するもの」であると賞賛し、当社の再興を布告する沙汰書が下された。同年五月には鳥羽・伏見の戦いの戦没者も合祀するよう命じられた。

明治6年(1873年)、別格官幣社に列格した。明治8年(1875年)には東山の地に社殿が建立され、萩原兼従の子孫である萩原員光が宮司に任命された。

明治12年(1879年)には大阪分社(現 豊國神社)が成立、明治13年(1880年)、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座が行われた。

旧福岡藩主の黒田長成侯爵が中心となり境内の整備が行われ、明治30年(1897年)には神社境外地の阿弥陀ヶ峰山頂に伊東忠太の設計になる巨大な石造五輪塔が建てられ、翌年、豊太閤三百年祭が大々的に挙行された。

この工事の際、土中から素焼きの壷に入った秀吉の遺骸とおぼしきものが発見された。遺骸は丁重に再埋葬されたというから、秀吉はいまなお阿弥陀ヶ峰山頂から京都の街を見守っていることになる。

その西の下方の平坦地、かつての社殿があった太閤坦には秀吉の孫である国松と秀吉の愛妾松の丸殿の供養塔(五輪塔)が寺町の誓願寺から移されて建っている。ただし国松の五輪塔は新造のもの。

国宝唐門は、元は南禅寺塔頭金地院にあったもので、豊国神社再建にあたって金地院から移築された。以心崇伝が寛永4年に幕府から二条城の唐門を譲り受けたもので、その前は伏見城にあったとも伝える。紙本著色豊国祭図 六曲屏風一双 狩野内膳筆、黄地菊桐文付紗綾胴服などが重要文化財に指定されている。

オンラインゲームで人気の『刀剣乱舞』に、「骨喰藤四郎」が出てくる。これがきっかけで、建勲神社粟田神社藤森神社とともに「京都刀剣御朱印廻り」というイベントが2015年7月に企画されている。専用の御朱印色紙に、特別な御朱印を集められる企画。

【ご利益】
地震除け、勝負運、武運長久、厄除け
豊国神社(京都市) - 豊臣秀吉を祀る本宮、家康に廃絶させられるが明治に復興
【関連記事】
社殿が国宝に指定されている神社 - 日本広しといえどもわずかに27社しかない超レア神社
別格官幣社とは? - 戦国武将や維新原動力の藩主、建武新政の功労者、英霊など
京都十六社朱印めぐり - 年頭の記念品が頂ける京都府京都市と周辺の16社巡礼イベント
京都刀剣御朱印廻り - 粟田神社×藤森神社×建勲神社×豊国神社の京都市鎮座の四社巡拝
豊国神社とは? - 豊臣秀吉を祀る「とよくに」「ほうこく」、江戸期から秘密裏に奉斎も

粟田神社×藤森神社×建勲神社×豊国神社「京都刀剣御朱印廻り」、限定1000部の色紙と御朱印
『日本の神社全国版(85) 2015年 9/29 号 [雑誌]』 - 「青史に名を残す賢人を称え祀る」
京都府の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
豊国神社(京都市)の御朱印