米沢城址にある上杉謙信を祀る神社、上杉家や直江兼続愛用の品々も
[住所]山形県米沢市丸の内1-4-13
[電話]0238-22-3189

上杉神社(うえすぎじんじゃ)は、山形県米沢市にある神社。米沢城址、現在の松が岬公園に位置し、上杉謙信を祀る。近代社格は別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祀られたが、次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。

以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする11ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたが、明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、その守護のために法音寺も廟所前に移転。

更に、城内に留まっている謙信の霊魂を神式で祀るため、11ヶ寺次席の大乗寺の僧侶が還俗して神官となった。この時、姓を大乗寺とし、現在も同家で宮司職を務めている。

併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、県社に昇格、現社号とした。明治9年(1876年)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。

明治34年(1901年)には越後の春日山城址に御分霊を勧請、現在の春日山神社である。

明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。この時鷹山は新たに設けた摂社としての松岬神社に遷され、上杉神社は再び謙信のみを祀ることとなった。

大正8年(1919年)の大火で境内は本殿以下全焼し、伊東忠太の設計により現在に残る社殿が再建された。

上杉家とともに歩んだ歴史ある古社であり、重要文化財として、色々威腹巻 兜・壼袖付 附黒漆鎧櫃(伝 上杉謙信所用)、服飾類(伝 上杉謙信 上杉景勝所用)84種(104点)、浅葱地花葉文緞子胴服(伝 直江兼続所用)などなど、上杉家ゆかりの品々の多くが指定されている。

宝物殿である稽照殿では、直江兼続が所用していたといわれている「金小札浅葱糸威二枚胴具足」、いわゆる「愛」の前立の甲冑が展示されている。

摂社に、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祀る松岬神社がある。松岬神社に合祀されていた春日神社が、昭和56年(1981年)に当社南側に再建された。

また、当社の真北には、上杉鷹山が藩政改革にあたって「倹約誓詞」を奉献した白子神社がある。

【ご利益】
武運長久、勝負運、厄除け
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