南朝スーパースター楠木正成の本宮、徳川光圀の顕彰碑建立が起源
[住所]兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
[電話]078-371-0001

湊川神社(みなとがわじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区にある神社。南朝方最大の英雄・楠木正成を祀り、地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。

建武中興十五社の一社で、近代社格では別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。神仏霊場巡拝の道70番(兵庫5番)。長田神社生田神社とともに神戸市を代表する神社の一社、神戸三社などとも。

主祭神は、大楠公と呼ばれる贈正一位橘朝臣(楠木)正成公(楠木正成)。

配祀神は、贈従二位楠木正行卿、贈正三位楠木正季卿、菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命、箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命、和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命、冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命、宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命、南江正忠命。

摂社甘南備神社(大楠公御夫人滋子刀自命)が本殿に合祀されている。

正成は、河内に本拠地をおいた武将で、元弘元年/元徳3年(1331年)に後醍醐天皇に応じて挙兵し、鎌倉幕府倒幕に貢献する。

建武の新政後の足利尊氏の反乱において、九州から京都に向かう尊氏を摂津国湊川の地で迎え打ち、新田義貞らとともに戦うが、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に敗退し自刃する。

配祀神の楠木正行は主祭神・楠木正成の子。正成が大楠公と呼ばれるのに対して、楠木正行は小楠公と呼ばれる。

正行は大楠公の死後も南朝側として戦い、河内の四條畷の戦いで破れて自刃。大阪府の四條畷神社で祀られている。

配祀神の楠木正季は正成の弟。兄とともに湊川の戦で敗れた。『太平記』では、兄と刺し違えて死んだとされ、死に際に「七生滅敵」と誓ったと描かれている。

『太平記』では、正成正季の兄弟とともに一族16名も自刃したとしており、これら16柱の神霊も正季らとともに配祀されている。

そのうち、菊池武吉は熊本の菊池神社で祀られる菊池武時の七男で、菊池武重の弟。兄とともに新田義貞の軍で戦っていたが、楠木正成らの自刃の場に居合わせたためにともに自刃したという。

現在の社地に楠木正成を祀る施設を設け、祭祀を行うという意味では、江戸時代初期の元禄5年(1692年)、徳川光圀の楠木正成墓碑の建立が当社の起源といえる。

江戸時代中期の享保20年(1735年)3月21日、墓前で楠公400年祭が行われ、江戸時代後期の天保6年(1835年)には500年祭が有志により行われている。

他の建武中興十五社や、多くの別格官幣社とは違い、南朝のスーパースターを祀る神社であるため、神社創建は早くから、多くの団体や部署が建議してきた。

明治2年(1869年)に墓所を含む現社地が確定され、明治4年(1871年)には社格と社名が定まり、明治5年(1872年)に創建された。

敗死した日、5月25日(当日を本祭としてその前後)には楠公祭(楠公まつり)が行われる。臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。

【ご利益】
智・仁・勇の三徳、誠忠と正義(公式HP
湊川神社 - 南朝スーパースター楠木正成の本宮、徳川光圀の顕彰碑建立が起源
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