和気氏発祥の地、清麻呂生誕の地にある和気清麻呂を祀る神社
[住所]岡山県和気郡和気町藤野1385
[電話]0869-93-3910

和気神社(わけじんじゃ、和氣神社)は、岡山県和気郡和気町にある神社。近代社格は県社。和気氏発祥の地、和気清麻呂生誕地にある和気氏の氏神。

主祭神は鐸石別命(ぬでしわけのみこと)。第11代垂仁天皇皇子で、『古事記』に記載はないが、和気氏の遠祖とされ、これを奉斎したのが当社の起源とされる。

創建は不詳。大阪府柏原市大県の鐸比古鐸比賣神社を勧請したとも。当社と鐸比古鐸比賣神社だけが、日本全国で鐸石別命を御祭神としているとされる。

天正19年(1591年)に社殿が水害に遭い現在地に遷座した。明治42年(1909年)、和気氏の祖先で鐸石別命の曾孫にあたる弟彦王(おとひこおう)、和気清麻呂、和気広虫も御祭神として加えられた。

また、国造神社に祀られていた佐波良命(さわらのみこと、清麻呂の高祖父)、伎波豆命(きはずのみこと、清麻呂の曾祖父)、宿奈命(すくなのみこと、清麻呂の祖父)、乎麻呂命(おまろのみこと、清麻呂の父)が合祀された。

大正3年(1914年)、現社名に復称。大正8年(1919年)、応神天皇を相殿として祀り、県社に列した。県社ながら、昭和天皇の岡山行幸の際には幣帛を賜わるなど、官国幣社と同等に扱われた。

拝殿前には全国的にも珍しい狛猪がある。猪が清麻呂の宇佐八幡宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされることから、清麻呂の守護とされてきたことに由来する。

現在の兵庫県加古川市の宗佐厄神八幡神社に関連した伝承が残る。また、負傷した清麻呂が療養した伝承が福岡県北九州市の御祖神社(足立山妙見宮)に残る。

現存の社殿は、明治18年(1885年)より順次建替えられている。邑久大工の田淵耘煙斎勝義の手によるもので、本殿・幣殿・釣殿・拝殿・随神門が一連の作となっている。明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっている。

社家は小森家。清麻呂の末裔と伝わる。清麻呂の姉、広虫が孤児を育て子供を守ったことに因んで、孝明天皇より「小森(子守)」姓を賜ったといわれている。

なお、京都には護王神社があり、皇統を守り抜いたことで、清麻呂と広虫が祀られている。

宇佐八幡宮神託事件で、清麻呂が配流された鹿児島県には、戦後の鎮座とはなるが、同名の和気神社(霧島市)がある。当社が鎮座する和気町は、霧島市に合併前の旧牧園町とこの縁で姉妹都市提携を行っていた。

【ご利益】
足腰・健康の守護、安産・子守の神、学業成就、厄除開運など(公式HP
和気神社 岡山県和気郡和気町藤野
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