熊本の南朝側武将、菊池武時、菊池武重、菊池武光の三代を祀る
[住所]熊本県菊池市隈府1257
[電話]0968-25-2549

菊池神社(きくちじんじゃ)は、熊本県菊池市にある神社。南北朝時代に南朝側で戦った菊池氏(菊池武時、菊池武重、菊池武光)の三代を祀る。明治3年(1870年)創建。建武中興十五社の一社。近代社格では別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

菊池氏は後醍醐天皇の倒幕戦争に加わり、南北朝時代には九州における南朝の主柱として奮戦した。当時の菊池家当主である菊池武時(第十二代)、武重(第十三代)、武光(第十五代)の父子を主祭神に祀る他、菊池氏の一族二十六柱を配祀する。

慶応4年(1868年)に熊本藩から明治新政府の参与に出仕した長岡護美が、菊池氏と加藤清正のために神社を創建する案を建議。同年7月18日、太政官政府はこの建言を採択し、熊本藩に両者の祭祀を執行するよう命じた。

そこで熊本藩は、清正のために熊本城内に錦山神社を建て(現 加藤神社)、菊池氏のために菊池城址に当社を建てた。当社の鎮座祭は明治3年(1870年)4月28日に行われ、この時に主祭神を菊池武時とし、武重と武光を配祀神とした。

明治6年(1873年)5月に郷社に列され、同8年(1875年)7月には県社に昇格、その10月24日に楠木正成を祭る楠社(現 湊川神社)が別格官幣社になったことを不服とした当時の白川県が教部省に願い出た。3年後の同11年(1878年)1月10日に名和神社とともに別格官幣社に列した。

あわせて、その時まで配祀されていた武重、武士、武光、武政、武朝の5人に加え、菊池氏に従って戦った一族他家の将士も配祀することになった。同年6月3日に、菊池武時が戦死した元弘3年3月13日を太陽暦に換算した5月5日を例祭日に定めた(現在は4月5日 公式HP)。大正12年(1923年)に配祀されていた武重と武光を主神に加えた。

秋の大祭初日(10月13日)には、国の重要無形民俗文化財に指定されている「菊池の松囃子」が舞われる。

本殿は三間社流造、棟に千木・鰹木を置く。拝殿は桁行5間梁間3間の入母屋造平入、正面中央に3間の向拝を付す。ともに屋根は銅板葺。境内に菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物が展示されている。桜の名所としても知られている。

なお、武時が敗死した博多には、武時の胴塚だった地、現在の福岡県福岡市城南区の七隈にも同名の神社がある。また首塚だった六本松の地には菊池霊社がある。

【ご利益】
勝運、出世運
菊池神社 - 熊本の南朝側武将、菊池武時、菊池武重、菊池武光の三代を祀る
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