南朝方の北畠顕家と、その父の親房を祀る明治期の建武中興十五社の一社
[住所]大阪府大阪市阿倍野区北畠3-7-20
[電話]06-6661-6243

阿部野神社(あべのじんじゃ)は、大阪府大阪市阿倍野区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

南朝方について各地を転戦した北畠顕家(きたばたけ あきいえ)と、その父の北畠親房(ちかふさ)を祀る。

建武中興十五社の一社で、明治15年(1882年)創建。近代社格では別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。神仏霊場巡拝の道44番(大阪3番)。

延元3年(1338年)に顕家が足利方に敗れて亡くなったと伝承される地に、明治8年(1875年)、地元の有志が顕家を祀る祠を建立したのに始まる。

明治11年(1878年)2月27日、東城兎幾雄・松本楚文ら15人が東成郡阿部野村にある北畠顕家の墓を修繕し、社殿を造営したいと願い出た。

何度かやり取りがあった後、内務省が神社創建は請願通り、墓は民間に任せず官費で記念碑を建てるべきと判断し、決定した。

しかし大阪府は、北畠顕家の忠誠は楠木正成(湊川神社)、新田義貞(藤島神社)、名和長年(名和神社)、菊池武時(菊池神社)らと同じだから、顕家を祭る神社にもしかるべき社格を定めるべきではないか、という内容の伺を同じ年の11月20日に内務省に出した。

内務省は3年後の明治14年(1881年)11月16日に顕家と、その父で、著書『神皇正統記』で名高い北畠親房の二人を御祭神とする別格官幣社の阿部野神社を阿部野村に創建する方針を固めた。

それが明治15年(1882年)1月24日に太政官の正式決定となった。墓所に記念碑をたてる案は取り止めになった。

その後も神社創建までは複雑な過程を経ることになるし、明治期の神社の創建を考える上では極めて興味深い展開ではあるが、中略。

社殿は明治20年(1887年)3月に完成し、鎮座祭は明治23年(1893年)3月に斎行された。

なお、親房、顕家の父子は福島県伊達市の霊山神社でも祀られている。親房の三男、顕家の弟にあたる顕能(あきよし)は、伊勢北畠氏の祖として、現在は三重県津市の北畠神社で祀られている。

【ご利益】
安産、厄除、開運、交通安全、家内安全など

初宮詣、七五三詣、十三詣り、安産、厄除・開運、交通安全(車清祓)、家内安全、等諸祈願公式HP
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『日本の神社全国版 2015年 3/31 号 [雑誌]』 - 枚岡神社、水無瀬神宮、阿部野神社
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