金沢市のシンボル神門がある、加賀藩祖前田利家を祀る前田家ゆかりの神社
[住所]石川県金沢市尾山町11-1
[電話]076-231-7210

尾山神社(おやまじんじゃ)は、石川県金沢市にある神社。近代社格では別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

主祭神は加賀藩の藩祖前田利家で、創建は明治6年(1873年)。例祭は利家の命日である4月27日。

安土桃山時代の慶長4年(1599年)、利家が没すると、加賀藩2代藩主前田利長は、その霊を祀ろうとしたが、公然と祀るには憚るところがあった。

そこで、越中国射水郡の式内社「物部神社」に併祀されていた八幡神を勧請し、金沢城の東に卯辰八幡社を建て、ここに合祀した。

しかし、幕末になると藩の財政が乏しくなり、荒廃が目立つようになった。

明治になって、明治5年(1872年)に教部省出仕加藤里路(元金沢藩の権大属・宣教掛で、のちに尾山神社の社司)と石川県参事桐山純孝が新たに藩祖を祀る神社を建てる計画を策定した。

旧藩臣が集まり、前田土佐守家の前田直信が代表になり、明治6年に金沢城の金谷出丸の跡地に新たに建立することとなった。もとの卯辰八幡社は、明治11年(1878年)、宇多須神社となった。

明治6年3月に政府より神社創立許可が出て、同月14日に創建、現社号を定めた。同月30日に、明治4年(1871年)7月に卯辰山天神社に一時的に遷座していた神像を当社に遷座。

11月16日には県令内田政風を始めとする官吏が参列して、卯辰山八幡宮より神霊遷座が行なわれた。

同年11月には前田家当主前田斉泰の子の少教正・大聖寺藩知事前田利鬯(としか)が説教を行なった。

明治8年(1875年)11月に特徴的な神門が造立された。この神門は長谷川準也・大塚志良により計画され、長谷川家出入りの大工・津田吉之助によって建てられた。

この神門は、洋風建築を模した擬洋風建築の中でも中国風の混入した数少ない例の一つ。

1階を木骨煉瓦造石貼付の3連アーチとし、2階・3階を木造漆喰塗りで階を追うごとに小さく作っている。3階は四面五彩のギヤマン張り。

各階の肩が垂直ではなく竜宮城のようにカーブしており、中国南方の寺院の門のような作りになっている。

屋根に設置している避雷針は日本初・日本最古のものとされる。今や金沢市の象徴の一つになっており、国の重要文化財に指定されている。

明治12年(1879年)7月には前田利長・前田利常が相殿に祀られた。同年9月には歴代藩主を祀る境内摂社として金谷神社が創建された。

明治35年(1902年)4月26日、米沢の上杉神社と同時に、別格官幣社に昇格している。日本プロサッカーリーグであるJリーグのツエーゲン金沢が必勝祈願を行う神社である。

【ご利益】
家内安全、商売繁盛、交通安全、必勝祈願、安産など(公式HP
尾山神社 - 金沢市のシンボル神門がある、加賀藩祖前田利家を祀る前田家ゆかりの神社
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