アメノタヂカラオが放り投げた岩戸が戸隠山になった伝承のある長野の古社
[住所]長野県長野市戸隠3690
[電話]026-254-2001

戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺にある、五つの神社の総称。近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、五社の御朱印を頂ける。

五つの神社とは、宝光社(ほうこうしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも)、中社(ちゅうしゃ)、九頭龍社(くずりゅうしゃ)、奥社(おくしゃ)。

天照大神の天岩戸隠れに際して、高天原の知恵袋天八意思兼命が中心となって、八百万の神々が相談し、何とか天照大神に外に出てもらおうとしていた。

天鈿女命のダンスで爆笑が起こり、天照大神が何事、とちょっと外の様子を覗いた時、天手力雄命がその隙に岩戸を放り投げた。

その岩戸が、日本のだいたい中心にあたるこの地に飛んできて、戸隠山になったという伝説にちなむ。奥社の御祭神はその天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)。

中社は八百万の神々の中で中心的な役割を果たした天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)。

宝光社の御祭神は天八意思兼命の子とされる天表春命(あめのうわはるのみこと)。火之御子社の御祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。

九頭龍社は、天手力雄命の奉斎以前から祀られる地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)。

池がまるで鏡のように、四季それぞれに絶妙な装いを見せ、特に紅葉の名所として知られる鏡池。その西南に宝光社などが、北方に奥社が鎮座する。

創建は第8代孝元天皇5年とも言われるが、縁起によれば、飯縄山に登った学問という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが平安時代前期の嘉祥2年(849年)。

また『日本書紀』天武紀には684年には三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせたとある。

『日本書紀』には、持統天皇が691年に使者を遣わし、信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が当社とする説もある。

平安時代後期以降は、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名が知られた。

修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。

明治時代に入ると、神仏分離令や修験宗廃止令が出され、その結果、戸隠山顕光寺は寺を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。

なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選補遺」として掲載されている。

【ご利益】
スポーツ必勝、学業成就、開運、安産、虫歯、縁結びなど(公式HP
戸隠神社 - アメノタヂカラオが放り投げた岩戸が戸隠山になった伝承のある長野の古社
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