出雲大社の「祖神さま」、アマテラスとスサノヲの姉弟を祀る古社
[住所]島根県出雲市大社町日御碕455
[電話]0853-54-5261

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社。ほど近くに鎮座する出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「御碕神社(出雲国・出雲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。出雲國神仏霊場20番。通称「みさきさん」。

出雲の国造りをした素盞嗚尊が根の国より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞い当社背後の「隠ヶ丘」に止まったことが由来。

その後、素盞嗚尊の五世孫で、出雲大社に鎮座の大国主命の父である天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地に素盞嗚尊を奉斎したといわれる。

上の本社(神の宮)の縁起である。一説に第3代安寧天皇13年、勅命により祀られたともされる。

下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)の創建は、伊勢の神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との勅命を受けたことによる。

当初はこの言葉通り、この場所から程近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま)で天照大御神を奉斎していた。

その後、天葺根命が経島に赴いた時、天照大神が降臨し「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があり、現在の地に大御神を祀った。

よって、御祭神は下の本社が天照大御神、上の本社が神素盞嗚尊。天暦2年(948年)、村上天皇勅命により、総称して日御碕大神宮とされた。

例祭は8月7日。例大祭、神幸祭で、夕日の祭。毎年旧暦1月5日に宇龍港の権現島に鎮座する熊野神社で、和布刈神事が行われる。

第13代成務天皇6年1月5日の早朝、一羽のウミネコが海草を当社の欄干に3度掛けて飛び去った。不思議に思った時の神主がそれを水洗いして乾かしたところ、ワカメになった。

この故事にならって行なわれる神事で、浜辺から権現島までの間に6隻の船が大漁旗をなびかせて並び、神主の渡島を待つ。神主が箱めがねで新しいワカメを刈り上げる。

「日御碕わかめ」は、この神事が終わってから初めて刈り取るのをしきたりとしている。

なお、この熊野神社は、式内社「因佐神社」の論社である。他の論社に、出雲大社の境外摂社である式内同名神社と、杵築北の荒神社がある。

鎌倉時代に塩冶高貞が寄進した白糸威鎧兜・大袖付が国宝に指定されている。下の本社、上の本社の社殿の多くが国の重要文化財に指定されている。

これらの社殿は江戸時代初期、三代将軍徳川家光の指示によるもの。この地域では珍しい権現造りであるのも特徴。なぜ家光がここにピンポイントで造営を進めたのかは不明。

一説に、日沈の宮として、当社から伊勢の神宮までのラインにはちょうど大阪城が位置しており、当時まだ根強い疑心があった豊臣家に対する呪術だったともされる。

南北朝時代に名和長年が寄進した藍韋威腹巻も重要文化財である。経島は現在、ウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物に指定されている。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
厄除け、縁結び
日御碕神社 - 出雲大社の「祖神さま」、アマテラスとスサノヲの姉弟を祀る古社
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