本社と奥宮があるオオクニヌシを祀る伯耆国二宮 後醍醐天皇ゆかり
[住所]鳥取県米子市尾高1025
[電話]0859-27-2345
大神山神社(おおがみやまじんじゃ)は、本社が鳥取県米子市に、奥宮(奥の宮)が同県西伯郡大山町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 伯耆国 會見郡「大神山神社」に比定される式内社(小社)。伯耆国二宮で、近代社格では国幣小社。
現在は神社本庁の別表神社。出雲國神仏霊場第九番。御祭神は本社が大穴牟遅神、奥宮が大己貴命。どちらも大国主神の別名である。
元は伯耆大山(別名 大神岳)の麓に鎮座し、その神を祀るものであった。伯耆大山は、平安時代には修験道場として著名な山となった。
当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とした。『勝見名跡誌』には伯耆大山の智明大権現と因幡・鷲峰山の鷲岸大明神が仲が悪く戦をしたとの伝承が載っている。
元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った。
現在の奥宮は、山腹に大山山頂の遥拝所として設けられたものと伝えられる。
その後、奥宮は冬季に祭祀が行えないため、山麓に冬宮(現在の本社)が設けられ、夏季には奥宮、冬季には本社で祭祀を行うようになった。
本社は当初は大山山麓にあったが、数度の遷座の後に明治初年に現在地に遷座した。明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(後に再興)、山腹の智明権現の仏塔を廃して奥宮とした。
奥宮の本殿、幣殿、拝殿および末社下山神社本殿、幣殿、拝殿は国の重要文化財に指定されている。
倉吉市の波波伎神社が伯耆二の宮を称する場合があるが、これは明治になり、同社の社格昇格運動の中で唱えられたもの。
なお、東京都小笠原村に東京都小笠原村に同名神社がある。
【ご利益】
勝運、病気平癒、安産、厄祓い(公式HP)
【関連記事】
・近代社格の国幣小社とは? - 官幣小社5社に比して10倍の実に50社、一宮もいくつか含む
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・『日本の神社全国版 (64) 2015年 5/5 号 [雑誌]』 - 宇倍神社、大神山神社、倭文神社
・鳥取県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・鳥取県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鳥取県に鎮座している神社の一覧
[電話]0859-27-2345
大神山神社(おおがみやまじんじゃ)は、本社が鳥取県米子市に、奥宮(奥の宮)が同県西伯郡大山町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 伯耆国 會見郡「大神山神社」に比定される式内社(小社)。伯耆国二宮で、近代社格では国幣小社。
現在は神社本庁の別表神社。出雲國神仏霊場第九番。御祭神は本社が大穴牟遅神、奥宮が大己貴命。どちらも大国主神の別名である。
元は伯耆大山(別名 大神岳)の麓に鎮座し、その神を祀るものであった。伯耆大山は、平安時代には修験道場として著名な山となった。
当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とした。『勝見名跡誌』には伯耆大山の智明大権現と因幡・鷲峰山の鷲岸大明神が仲が悪く戦をしたとの伝承が載っている。
元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った。
現在の奥宮は、山腹に大山山頂の遥拝所として設けられたものと伝えられる。
その後、奥宮は冬季に祭祀が行えないため、山麓に冬宮(現在の本社)が設けられ、夏季には奥宮、冬季には本社で祭祀を行うようになった。
本社は当初は大山山麓にあったが、数度の遷座の後に明治初年に現在地に遷座した。明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(後に再興)、山腹の智明権現の仏塔を廃して奥宮とした。
奥宮の本殿、幣殿、拝殿および末社下山神社本殿、幣殿、拝殿は国の重要文化財に指定されている。
倉吉市の波波伎神社が伯耆二の宮を称する場合があるが、これは明治になり、同社の社格昇格運動の中で唱えられたもの。
なお、東京都小笠原村に東京都小笠原村に同名神社がある。
【ご利益】
勝運、病気平癒、安産、厄祓い(公式HP)
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