沖縄総鎮守で琉球国新一の宮、「守礼の邦」沖縄の永世泰平を守護
[住所]沖縄県那覇市若狭1-25-11
[電話]098-868-3697

波上宮(なみのうえぐう)は、沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つで、その首座とされ、近代社格では官幣小社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御朱印には後述の「沖縄総鎮守」が記されている。

那覇港を望む高台の上に位置し、「なんみんさん」として親しまれている。琉球王国、さらに現在も沖縄総鎮守として信仰されている。琉球八社の一社で、「全国一の宮会」に加盟しており、新一の宮として琉球国一宮

主祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)、左神座が速玉男尊(はやたまをのみこと)、右神座が事解男尊(ことさかをのみこと)。熊野三山を頂点とする熊野信仰の系列だと分かる。相殿神は、竈神(火神)、産土大神、少彦名神(薬祖神)。

創建の年代は不詳である。しかし琉球八社は真言宗寺院に併置され、その創建の由緒を見ると、多くは社寺同時に創建されている、との指摘があり、当宮は察度王(在位:1350-1395年)の御代、護国寺が開山した時期に創建されたのではないかと推測される。

正平23年(1368年)、頼重法印が当宮の別当寺として護国寺を建立したが、その後一時衰微し、紀伊国熊野から補陀落渡海の果てに琉球へ漂着した真言宗の僧侶日秀上人により大永2年(1522年)再興される。再興にあたり日秀は熊野三所大権現の本地仏である阿弥陀如来・薬師如来・千手観音を刻して安置した。

寛永10年(1633年)に社殿が焼失したが、本地三尊像は護国寺に移されていて難を逃れた。焼失した社殿は同12年(1635年)に再建される。さらに享和3年(1803年)社殿が大破したため、それまでの本地三尊像を三殿に分けて安置する形式から一殿に安置する三戸前として改築した。

明治に入り近代社格制度によって官幣小社へ列格され、明治23年(1890年)5月17日に御鎮座告祭式を行った。この御鎮座告祭式の日が、明治26年(1893年)から例大祭の日となっている。昭和10年(1935年)には御再興三百年祭を催行。

太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)、戦火が迫ったことから宮司が御神体を奉じて摩文仁村へ避難した。しかし境内は激しい沖縄戦の中で鳥居を残し全てが灰燼に帰した。

沖縄戦で壊滅的な損害を被ったが、戦後の昭和23年(1948年)に別表神社へと指定された。昭和27年(1952年)宮司が復興に着手。翌28年(1953年)にハワイ移民の寄進により本殿と社務所を再建、本土へも呼びかけ、昭和36年(1961年)には拝殿が再建された。

昭和47年(1972年)、本土復帰を迎えて沖縄復帰奉告祭が行われ、皇室より幣帛料を賜っている。平成2年(1990年)御大典を記念して一の鳥居を改築した。さらに平成の御造営により本殿と拝殿を再建、平成5年(1993年)に完成して正遷座祭が催行された。

兼務神社に末吉宮天久宮、旧県社の沖縄神社などがある。

【ご利益】
海上交通、豊漁、豊穣、諸産業の振興、厄除、安産、家内安全、病気平癒、縁結びなど
波上宮 - 沖縄総鎮守で琉球国新一の宮、「守礼の邦」沖縄の永世泰平を守護
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