中世に創建、近世末までに各地に勧請した北海道開拓に関わる神々
[住所]北海道函館市谷地頭町2-5
[電話]0138-22-3636
函館八幡宮は、北海道函館市にある神社。近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。函館山の南東麓に東面して鎮座し、社地は函館市街を俯瞰する。北海道の開拓に関わる神として道民からの崇敬を集めている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
品陀和気命(ほんだわけのみこと、第十五代応神天皇、八幡神)を主祭神とし、相殿に住吉大神(住吉三神であり、底筒男命<ソコツツノヲノカミ>、中筒男命<ナカツツノヲノカミ>、表筒男命<ウハツツノヲノカミ>の三柱)と金刀比羅大神(オオモノヌシ)を配祀する。
社伝では、文安2年(1445年)、亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、城の鎮守として城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。永正9年(1512年)、河野氏は蝦夷に攻められて城を追われ、一族は八幡神を奉じて亀田郡赤川村(現 函館市赤川町)に逃れた。
慶安2年(1649年)、河野氏一族の巫女伊知女(伊知子とも)が霊告を受けて元町の河野館跡地に八幡宮を遷した。寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とした江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、文化元年(1804年)、幕府の費用で会所町(現 函館市元町北東部)に社殿を造営して遷座、以後箱館奉行所は当宮を祈願所とし、蝦夷地総社として崇敬した。
また、広く蝦夷地開拓に神験ありと信仰されたといい、近世末までに石狩八幡神社(石狩市)や室蘭八幡宮(室蘭市)、住吉神社(小樽市)などが当宮より勧請されて創祀されている。
明治に入り、会所町に庁舎を置いた開拓使は明治4年(1871年)に当宮を崇敬社と定め、同10年5月28日、国幣小社に列格、翌11年、類焼により社殿を焼失したので、官費で現在地に社殿を造営し、同13年に遷座した。明治29年(1896年)10月19日に国幣中社に昇格。戦後は神社本庁に参加し、昭和23年(1948年)にその別表神社となっている。
現在の社殿は大正4年(1915年)に竣成したもので、「大正式八幡造」の代表作と言われる。社殿の形式は聖帝八棟造りで、聖帝造(日吉造ともいい、藤原時代の寝殿造の後方の一間を切り取った形)に、八棟造(権現造ともいい、本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた、森厳にして優雅と形容される。(北海道神社庁)
例祭は8月15日で、それを挟んで前後3日間に亘る祭儀が斎行される。また例祭後には隔年で神輿渡御祭があり、神輿(市指定文化財)が市内を巡幸、還御に際しては神輿を担いで参道の石段134段を駆け昇る。
【ご利益】
八幡神としての厄除けや勝運、住吉三神の海上・交通安全、金刀比羅大神の農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など
【関連記事】
・近代社格の国幣中社とは? - 北海道から九州地方までまんべんなく分布、一宮も多い
・『日本の神社全国版 (71) 2015年 6/23 号 [雑誌] 』 - 北海道の北海道神宮と函館八幡宮
・北海道の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・北海道の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、北海道に鎮座している神社の一覧
[電話]0138-22-3636
函館八幡宮は、北海道函館市にある神社。近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。函館山の南東麓に東面して鎮座し、社地は函館市街を俯瞰する。北海道の開拓に関わる神として道民からの崇敬を集めている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
品陀和気命(ほんだわけのみこと、第十五代応神天皇、八幡神)を主祭神とし、相殿に住吉大神(住吉三神であり、底筒男命<ソコツツノヲノカミ>、中筒男命<ナカツツノヲノカミ>、表筒男命<ウハツツノヲノカミ>の三柱)と金刀比羅大神(オオモノヌシ)を配祀する。
社伝では、文安2年(1445年)、亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、城の鎮守として城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。永正9年(1512年)、河野氏は蝦夷に攻められて城を追われ、一族は八幡神を奉じて亀田郡赤川村(現 函館市赤川町)に逃れた。
慶安2年(1649年)、河野氏一族の巫女伊知女(伊知子とも)が霊告を受けて元町の河野館跡地に八幡宮を遷した。寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とした江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、文化元年(1804年)、幕府の費用で会所町(現 函館市元町北東部)に社殿を造営して遷座、以後箱館奉行所は当宮を祈願所とし、蝦夷地総社として崇敬した。
また、広く蝦夷地開拓に神験ありと信仰されたといい、近世末までに石狩八幡神社(石狩市)や室蘭八幡宮(室蘭市)、住吉神社(小樽市)などが当宮より勧請されて創祀されている。
明治に入り、会所町に庁舎を置いた開拓使は明治4年(1871年)に当宮を崇敬社と定め、同10年5月28日、国幣小社に列格、翌11年、類焼により社殿を焼失したので、官費で現在地に社殿を造営し、同13年に遷座した。明治29年(1896年)10月19日に国幣中社に昇格。戦後は神社本庁に参加し、昭和23年(1948年)にその別表神社となっている。
現在の社殿は大正4年(1915年)に竣成したもので、「大正式八幡造」の代表作と言われる。社殿の形式は聖帝八棟造りで、聖帝造(日吉造ともいい、藤原時代の寝殿造の後方の一間を切り取った形)に、八棟造(権現造ともいい、本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた、森厳にして優雅と形容される。(北海道神社庁)
例祭は8月15日で、それを挟んで前後3日間に亘る祭儀が斎行される。また例祭後には隔年で神輿渡御祭があり、神輿(市指定文化財)が市内を巡幸、還御に際しては神輿を担いで参道の石段134段を駆け昇る。
【ご利益】
八幡神としての厄除けや勝運、住吉三神の海上・交通安全、金刀比羅大神の農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など
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