筋金入りの長崎くんちが有名、三社が合併して戦国期に創建される
[住所]長崎県長崎市上西山町18-15
[電話]095-824-0445
諏訪神社(すわじんじゃ)は、長崎県長崎市にある神社。通称をつけて、鎮西大社諏訪神社とも。地元では「お諏訪さま」「おすわさん」と呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。10月7-9日の例祭は長崎くんちとして有名。
戦国時代の弘治年間(1555-1557年)までに長崎で祀られていた諏訪神社、森崎神社、住吉神社の三社が起源。
弘治元年(1555年)に、長崎織部亮為英が京都の諏訪神社の分霊を、現在の風頭山の麓に奉祀したのが始まりという。
戦国時代に当地はキリスト教徒の支配地となり、当社を含めて領地内の社寺は全て破壊された。
江戸時代に入った後の寛永2年(1625年)、佐賀の修験者であった初代宮司の青木賢清(かたきよ)が、円山(現在は松森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神とした。
その際は、長崎奉行の長谷川権六や長崎代官・末次平蔵が支援した、という。正保4年(1641年)に幕府より現在地に社地を寄進され、慶安4年(1651年)に遷座した。
幕末の安政4年(1857年)9月に火災により焼失したが、孝明天皇の勅諚により明治元年(1868年)に再興した。大正10年(1921年)に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
御祭神は諏訪神社が建御名方神、八坂刀売神(やさかとめのかみ。建御名方神の后神)。森崎神社が伊邪那岐神、伊邪那美神。住吉神社が住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱)。
長崎くんちの奉納は、寛永11年(1634年)に丸山町・寄合町の両町が踊りを奉納したのが始まりである。
昭和20年(1945年)10月7日、原爆が投下されてからわずか59日目にして行われたという筋金入りのくんち。
日本三大祭、日本三大くんちの一つ。「長崎くんちの奉納踊」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
当社参道の敷石には、男石と女石が、幾何学的な紋様で埋め込まれており、縁結びの願い事が叶うと言われている。いわゆる縁結びの陰陽石と呼ばれるもの。
男性は女石、女性は男石を踏んだ後、拝殿前の両性が合体した石(SEXを象徴した両性合体石)を踏んで参拝する。
また、手水舎に水噴きの狛犬があることでも知られている。蹲踞の尾立ちで、長い棒を咥え、その先から水が出る。
高麗犬の井戸といわれ、枯れることがない水とされる。この水を飲むと安産、とも。また、銭洗い狛犬でもあり、この水で銭洗うとその銭が倍になるとも伝わる。
手水舎の水噴き狛犬としては、当社と同じく、古いものでは鳥取市の利川神社のものがある。石造のものだと、奈良市の手向山八幡宮、所沢市の中氷川神社、川崎市の高石神社などだけ、とも。
亀山八幡宮、昊天宮とともに長崎三社参りの一社。伊勢宮神社、松森天満宮とともに長崎三社、またその三社に中川八幡神社、水神神社を含めると長崎五社となる。
なお、海上自衛隊の護衛艦「すずつき」の艦内神社に分祀しているという。当社は日本のプロサッカーリーグ、JリーグのV・ファーレン長崎が必勝祈願を行う神社である。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。また、全国東照宮連合会に加盟している。
【ご利益】
厄除け、縁結び、海上守護(公式HP)
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[電話]095-824-0445
諏訪神社(すわじんじゃ)は、長崎県長崎市にある神社。通称をつけて、鎮西大社諏訪神社とも。地元では「お諏訪さま」「おすわさん」と呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。10月7-9日の例祭は長崎くんちとして有名。
戦国時代の弘治年間(1555-1557年)までに長崎で祀られていた諏訪神社、森崎神社、住吉神社の三社が起源。
弘治元年(1555年)に、長崎織部亮為英が京都の諏訪神社の分霊を、現在の風頭山の麓に奉祀したのが始まりという。
戦国時代に当地はキリスト教徒の支配地となり、当社を含めて領地内の社寺は全て破壊された。
江戸時代に入った後の寛永2年(1625年)、佐賀の修験者であった初代宮司の青木賢清(かたきよ)が、円山(現在は松森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神とした。
その際は、長崎奉行の長谷川権六や長崎代官・末次平蔵が支援した、という。正保4年(1641年)に幕府より現在地に社地を寄進され、慶安4年(1651年)に遷座した。
幕末の安政4年(1857年)9月に火災により焼失したが、孝明天皇の勅諚により明治元年(1868年)に再興した。大正10年(1921年)に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
御祭神は諏訪神社が建御名方神、八坂刀売神(やさかとめのかみ。建御名方神の后神)。森崎神社が伊邪那岐神、伊邪那美神。住吉神社が住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱)。
長崎くんちの奉納は、寛永11年(1634年)に丸山町・寄合町の両町が踊りを奉納したのが始まりである。
昭和20年(1945年)10月7日、原爆が投下されてからわずか59日目にして行われたという筋金入りのくんち。
日本三大祭、日本三大くんちの一つ。「長崎くんちの奉納踊」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
当社参道の敷石には、男石と女石が、幾何学的な紋様で埋め込まれており、縁結びの願い事が叶うと言われている。いわゆる縁結びの陰陽石と呼ばれるもの。
男性は女石、女性は男石を踏んだ後、拝殿前の両性が合体した石(SEXを象徴した両性合体石)を踏んで参拝する。
また、手水舎に水噴きの狛犬があることでも知られている。蹲踞の尾立ちで、長い棒を咥え、その先から水が出る。
高麗犬の井戸といわれ、枯れることがない水とされる。この水を飲むと安産、とも。また、銭洗い狛犬でもあり、この水で銭洗うとその銭が倍になるとも伝わる。
手水舎の水噴き狛犬としては、当社と同じく、古いものでは鳥取市の利川神社のものがある。石造のものだと、奈良市の手向山八幡宮、所沢市の中氷川神社、川崎市の高石神社などだけ、とも。
亀山八幡宮、昊天宮とともに長崎三社参りの一社。伊勢宮神社、松森天満宮とともに長崎三社、またその三社に中川八幡神社、水神神社を含めると長崎五社となる。
なお、海上自衛隊の護衛艦「すずつき」の艦内神社に分祀しているという。当社は日本のプロサッカーリーグ、JリーグのV・ファーレン長崎が必勝祈願を行う神社である。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。また、全国東照宮連合会に加盟している。
【ご利益】
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