「近江富士」が神体山、本殿は国宝、重文も多く、「ずいき祭」も有名
[住所]滋賀県野洲市三上838
[電話]077-587-0383
御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市にある神社。琵琶湖南岸、「近江富士」の別名もある標高432メートルの三上山山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る。
三上山山頂には奥宮が鎮座し、奥宮前には磐座がある。三上山は藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治伝説でも知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「御上神社(近江国・野洲郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)。近江国三宮とされることもあり、近代社格では官幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
境内には国宝の本殿のほか、重要文化財の拝殿・楼門・摂社若宮本殿・木造狛犬(京都国立博物館寄託)がある。また、ずいき祭りは重要無形民俗文化財に指定されている。
御祭神は天之御影命(あめのみかげのみこと)。天津彦根命の子で、つまりアマテラスの孫。鍛冶の神で、アマツヒコネの子である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一神とされ、忌火(清浄な火)の神としても有名。
第7代孝霊天皇の御世、天之御影命が三上山の山頂に降臨し、それを御上祝が三上山を神体(神奈備)として祀ったのに始まると伝える。
御上祝は、野洲郡一帯を治めていた安国造の一族で、当社の祭祀は安国造が執り行った。
明治から昭和にかけての発掘調査では三上山ふもとの大岩山から24個の銅鐸が発見され、三上山周辺で古来から祭祀が行われていたと考えられている。
養老2年(718年)、藤原不比等によって遥拝所のあった三上山麓の現在地に社殿が造営された。古代から中世にかけては、三上山山麓に東光寺があったとされる。
数多くの伽藍・堂舎があったと伝えられ、「三上古跡図」にその様子が描かれている。
明治9年(1876年)、近代社格制度において郷社に列し、大正2年(1913年)に県社、大正13年(1924年)に官幣中社に昇格した。
国宝の本殿は鎌倉時代後期の造営で、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形で、その独特な構造から「御上造」と呼ばれることもある。
拝殿は桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺で本殿と似た構造である。かつての本殿を移築・改造したものという。
楼門は鎌倉時代後期の造営。三間一戸、入母屋造、檜皮葺。いずれも国の重要文化財に指定されている。
境内前には「悠紀斎田」と呼ばれる斎田が広がっている。昭和天皇即位時、大嘗祭に供える献上米の栽培地として指定された。以来毎年5月には御田植祭として、昔ながらの服装で田植えが行われる。
10月14日に行われるのがずいき祭り。秋季古例祭の通称。古くは「若宮殿相撲御神事」とも。秋の収穫感謝と子孫繁栄を祈念する祭りで、鎌倉時代以前に始まったとされる。
ずいき神輿が5基奉納されるほか、芝原式として子供相撲が奉納される。「三上のずいき祭」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
火・水を司る神(公式HP)
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・重要無形民俗文化財「三上のずいき祭」 - 滋賀県野洲市、御上神社の収穫感謝の祭り
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・『日本の神社全国版(102) 2016年 1/26 号 [雑誌]』 - 琵琶湖を囲む近江鎮護の社を訪ねる
・滋賀県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・滋賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、滋賀県に鎮座している神社の一覧
[電話]077-587-0383
御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市にある神社。琵琶湖南岸、「近江富士」の別名もある標高432メートルの三上山山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る。
三上山山頂には奥宮が鎮座し、奥宮前には磐座がある。三上山は藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治伝説でも知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「御上神社(近江国・野洲郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)。近江国三宮とされることもあり、近代社格では官幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
境内には国宝の本殿のほか、重要文化財の拝殿・楼門・摂社若宮本殿・木造狛犬(京都国立博物館寄託)がある。また、ずいき祭りは重要無形民俗文化財に指定されている。
御祭神は天之御影命(あめのみかげのみこと)。天津彦根命の子で、つまりアマテラスの孫。鍛冶の神で、アマツヒコネの子である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一神とされ、忌火(清浄な火)の神としても有名。
第7代孝霊天皇の御世、天之御影命が三上山の山頂に降臨し、それを御上祝が三上山を神体(神奈備)として祀ったのに始まると伝える。
御上祝は、野洲郡一帯を治めていた安国造の一族で、当社の祭祀は安国造が執り行った。
明治から昭和にかけての発掘調査では三上山ふもとの大岩山から24個の銅鐸が発見され、三上山周辺で古来から祭祀が行われていたと考えられている。
養老2年(718年)、藤原不比等によって遥拝所のあった三上山麓の現在地に社殿が造営された。古代から中世にかけては、三上山山麓に東光寺があったとされる。
数多くの伽藍・堂舎があったと伝えられ、「三上古跡図」にその様子が描かれている。
明治9年(1876年)、近代社格制度において郷社に列し、大正2年(1913年)に県社、大正13年(1924年)に官幣中社に昇格した。
国宝の本殿は鎌倉時代後期の造営で、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形で、その独特な構造から「御上造」と呼ばれることもある。
拝殿は桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺で本殿と似た構造である。かつての本殿を移築・改造したものという。
楼門は鎌倉時代後期の造営。三間一戸、入母屋造、檜皮葺。いずれも国の重要文化財に指定されている。
境内前には「悠紀斎田」と呼ばれる斎田が広がっている。昭和天皇即位時、大嘗祭に供える献上米の栽培地として指定された。以来毎年5月には御田植祭として、昔ながらの服装で田植えが行われる。
10月14日に行われるのがずいき祭り。秋季古例祭の通称。古くは「若宮殿相撲御神事」とも。秋の収穫感謝と子孫繁栄を祈念する祭りで、鎌倉時代以前に始まったとされる。
ずいき神輿が5基奉納されるほか、芝原式として子供相撲が奉納される。「三上のずいき祭」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
火・水を司る神(公式HP)
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