懐良親王の墓所の近くに、明治期に創建される建武中興十五社の一社
[住所]熊本県八代市松江城町7-34
[電話]0965-35-2448

八代宮(やつしろぐう)は、熊本県八代市にある神社。建武中興十五社の一社で、近代社格では官幣中社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王(かねよししんのう/かねながしんのう)を主祭神とし、懐良親王歿後に征西将軍職を継いだ良成親王(よしなりしんのう/ながなりしんのう)を配祀する。地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれている。

例祭日の8月3日は、八代宮の創建が太政官によって決定された日である。親王が死んだ日を例祭の日とすべきであったが、その日が不明なため創建決定の日をもってした。創建の日でないのは例祭日を創建に先立って定めたため。

明治維新以降、南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こり、懐良親王の墓所のある八代の住民からも、懐良親王と良成親王を祀る神社を創建し、鎌倉宮・井伊谷宮と並ぶ官幣中社にしてほしいという請願が何度かなされた。

住民の徳富忠七らは、墓所から遠くない松江城(八代城)の址に神社を建てることを求めた。これを請けて1880年(明治13年)に太政官が熊本県に創立を命じ、懐良親王を祭神とし、良成親王を配祀する神社が八代宮の名で願い通りに造られることとなった。

同地には官有地と民有地があったが、明治14年(1881年)に民有地が神社のために寄付されたため、八代城址は全体が神社の境内になった。また神社の前から市街に通じる道路を開いた。建設予算は9463円80銭4厘で、寄付金2642円97銭4厘(寄付金2000円、残りは力役提供を金銭に換算)と官費6820円83銭で拠出。

またこの年に、宮内省と内務省は霊代(神体)を社殿完成後に新しい鏡で納めることにすることを決めた。社殿が完成してから、明治17年(1884年)4月20日に鎮座祭が行われ、霊代が納められた。

八代宮の神門の前にある二本の松が夫婦松と呼ばれている。この下をくぐると「二人は結ばれる」とか「夫婦の絆が強くなる」と地元で言われおり、縁結びの祈願として、参拝客も多い。(公式HP

境内となっている八代城の歴史は古く、史上三回築城された。最も古いものは南北朝時代に名和氏が築いた山城で、古麓城と呼ばれるもの。この城は名和氏の後、相良氏も本拠地として使用した。

その後、天正16年(1588年)には小西行長が南肥後の国主に任じられ、この時に古麓城に代わって海岸沿いに麦島城を築城。小西行長が関ヶ原の合戦で敗北した後には加藤清正が肥後一国を治め、八代城は熊本城の支城として機能した。

御祭神の父である後醍醐天皇は吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町)に祀られている。吉野神宮も建武中興十五社の一社。

【ご利益】
勝運、必勝、上達運、縁結び
八代宮 - 懐良親王の墓所の近くに、明治期に創建される建武中興十五社の一社
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