ユネスコの世界文化遺産登録の準備を進めている大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」。その構成資産は80基以上の古墳からなっており、全体像をつかむことはなかなか容易なことではありません。そこでここでは、宮内庁治定を基準とし、登録準備にあたって正式名称となっている天皇陵(一部皇族)とされた古墳に絞り、その方々の人物像を古事記などを基に略記して、まとめてみました。
すべての構成資産の分布は下記より。
古墳に物語あり―
「百舌鳥・古市古墳群」ばかりでなく、古事記も全体を把握しようとすると、そんな分量の多い書物ではないにせよ、結構大変ですが、「百舌鳥・古市古墳群」に絞ると、なんとまあ、古事記のかなりのエッセンスが抽出できるものになりました。
世界遺産を先取り。「百舌鳥・古市古墳群」は古事記入門にも最適。現代人にとってあまり馴染みのない古代天皇も、「百舌鳥・古市古墳群」を通じて見れば、よく理解できるかも。
[古市古墳群] F43 日本武尊白鳥陵古墳 (前方後円墳) 200メートル
古事記の英雄の一人です。西は九州から東は東北まで、その生涯は遠征に明け暮れました。今でも関東一帯にはヤマトタケル伝説が色濃く残っています。ヤマトタケルの墓は、古事記を含む伝承に基づき、ここの他、二つ残されています。
[古市古墳群] F5 仲哀天皇陵古墳 (前方後円墳) 242メートル
史上初めて暗殺されたかもしれない天皇。天皇になれなかったヤマトタケルの子です。九州で崩御されましたが、三韓征伐を終えた神功皇后(仲哀天皇皇后)が畿内に戻ってくる際に遺骸も運ばれたといいます。
[古市古墳群] F21 応神天皇陵古墳 (前方後円墳) 425メートル
仲哀天皇と神功皇后の子。三韓征伐時に神功皇后は身ごもっていたので胎中天皇(古事記では「坐腹中定国也」)とも。帰国後九州で生まれます。現在では八幡神として日本各地で祀られています。ただし、古事記では思いのほか存在感が希薄なのが特徴です。
[古市古墳群] F13 仲姫皇后陵古墳 (前方後円墳) 290メートル
応神天皇の皇后。古事記では中日売命ですが、一般的には仲姫命と記されます。古事記においても、他の資料でも系譜のみ載る方で、あまり事績はなく、最大の事跡は応神天皇の皇后、ということ。八幡神の比売神に充てられることがあります。
[百舌鳥古墳群] M4 仁徳天皇陵古墳 (前方後円墳) 486メートル
古事記の英雄の一人。聖天子伝説もありますが、父・応神天皇が召した美姫をねだったり、かなり奔放な浮気性、あっぴろげに言えば女好き。皇后イワノヒメは日本史上に冠たる嫉妬深い女性で、夫の浮気に怒り、皇后が家出するという事態を引き起こします。
[百舌鳥古墳群] M25 履中天皇陵古墳 (前方後円墳) 365メートル
仁徳天皇とイワノヒメの子。難波で泥酔したら、弟に襲われ、殺されそうになり、命からがら大和の石上神宮あたりまで避難。別の弟(後の第十八代反正天皇)をけしかけて、反逆した弟を成敗させる話が古事記に伝わっています。
[百舌鳥古墳群] M1 反正天皇陵古墳 (前方後円墳) 148メートル
仁徳天皇とイワノヒメの子。履中天皇から命じられた反逆者の討伐の話が古事記に載ります。特筆すべきは、古事記の中でほぼ唯一、容姿が形容された天皇であり、それを信じれば、歯並びの良いイケメンで、3メートルを超える巨人ということです。
[古市古墳群] F8 允恭天皇陵古墳 (前方後円墳) 230メートル
仁徳天皇とイワノヒメの子。病弱で皇位を一度は断ったが、周囲の説得で即位。古事記でも半島との交流が記載されています。この方、というよりは、子どもたちが極めて特徴的で、古事記後半の物語を彩ります。
[古市古墳群] F3 雄略天皇陵古墳(島泉丸山古墳) (円墳) 75メートル
[古市古墳群] F4 雄略天皇陵古墳(島泉平塚古墳) (方墳) 50メートル
特徴的な允恭天皇の子の一人。正史において極めて辛辣に描かれている天皇で、古事記においてもその横暴ぶりが目立ちます。古代日本のジャイアン、ですが、裏を返せば行動力バリバリの天皇、ということかもしれません。事実、古代日本が飛躍した時期に相当します。
雄略天皇のみ、二つの古墳が指定されていますが、これは二つの古墳(円墳と方墳)が一つの古墳と考えられてきた時期があったことの名残と言えます。
[古市古墳群] F41 清寧天皇陵古墳 (前方後円墳) 115メートル
雄略天皇の子。古事記に本名が白髪大倭根子命とあり、日本書紀などにおいても、生まれながらの白髪、そこに霊威を感じた雄略天皇が皇太子に指名した、などで知られ、白髪皇子として、現代の小説や漫画のモデルになることも少なくありません。
[古市古墳群] F38 仁賢天皇陵古墳 (前方後円墳) 122メートル
雄略天皇に父を殺され、弟の第二十三代顕宗天皇とともに、播磨に潜伏するという経緯を持つ苦労人。積極果敢な弟に比べ、遠慮深く思慮深い兄という姿が古事記にも描かれています。父の仇・雄略陵を破壊するという弟の計画を未然に防いだ物語などが伝わります。
[古市古墳群] F44 安閑天皇陵古墳 (前方後円墳) 122メートル
第二十六代継体天皇の子。古事記においてはすでに系譜のみが記されている部分で、具体的な事績が伝わっていません。その他の資料でも、在位の短さもあってか、存在感が希薄な天皇。おそらく、継体天皇崩御の後の混乱に翻弄されたかと。
[古市古墳群] F45 春日山田皇女陵古墳 (前方後円墳) 90メートル
仁賢天皇の娘で、安閑天皇の皇后。古事記には系譜のみ、しかも立后の記載はなし。しかし、日本書紀においては、第二十八代宣化天皇の崩御後、周囲から即位を薦められこれを固辞した話が伝わります。史上初の女帝・第三十三代推古天皇以前のお話。
※上記はあくまでも宮内庁による治定(正直、ほぼ江戸時代に治定されたそのまま)と、世界遺産登録を目指す上で付けられた正式名称に基づくものであり、現代の学術的に被葬者が確定したものではありません。
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すべての構成資産の分布は下記より。
古墳に物語あり―
「百舌鳥・古市古墳群」ばかりでなく、古事記も全体を把握しようとすると、そんな分量の多い書物ではないにせよ、結構大変ですが、「百舌鳥・古市古墳群」に絞ると、なんとまあ、古事記のかなりのエッセンスが抽出できるものになりました。
世界遺産を先取り。「百舌鳥・古市古墳群」は古事記入門にも最適。現代人にとってあまり馴染みのない古代天皇も、「百舌鳥・古市古墳群」を通じて見れば、よく理解できるかも。
ヤマトタケル(第十二代景行天皇皇子)
古事記の英雄の一人です。西は九州から東は東北まで、その生涯は遠征に明け暮れました。今でも関東一帯にはヤマトタケル伝説が色濃く残っています。ヤマトタケルの墓は、古事記を含む伝承に基づき、ここの他、二つ残されています。
第十四代仲哀天皇
史上初めて暗殺されたかもしれない天皇。天皇になれなかったヤマトタケルの子です。九州で崩御されましたが、三韓征伐を終えた神功皇后(仲哀天皇皇后)が畿内に戻ってくる際に遺骸も運ばれたといいます。
第十五代応神天皇
仲哀天皇と神功皇后の子。三韓征伐時に神功皇后は身ごもっていたので胎中天皇(古事記では「坐腹中定国也」)とも。帰国後九州で生まれます。現在では八幡神として日本各地で祀られています。ただし、古事記では思いのほか存在感が希薄なのが特徴です。
ナカツヒメ(第十五代応神天皇皇后)
応神天皇の皇后。古事記では中日売命ですが、一般的には仲姫命と記されます。古事記においても、他の資料でも系譜のみ載る方で、あまり事績はなく、最大の事跡は応神天皇の皇后、ということ。八幡神の比売神に充てられることがあります。
第十六代仁徳天皇
古事記の英雄の一人。聖天子伝説もありますが、父・応神天皇が召した美姫をねだったり、かなり奔放な浮気性、あっぴろげに言えば女好き。皇后イワノヒメは日本史上に冠たる嫉妬深い女性で、夫の浮気に怒り、皇后が家出するという事態を引き起こします。
第十七代履中天皇
仁徳天皇とイワノヒメの子。難波で泥酔したら、弟に襲われ、殺されそうになり、命からがら大和の石上神宮あたりまで避難。別の弟(後の第十八代反正天皇)をけしかけて、反逆した弟を成敗させる話が古事記に伝わっています。
第十八代反正天皇
仁徳天皇とイワノヒメの子。履中天皇から命じられた反逆者の討伐の話が古事記に載ります。特筆すべきは、古事記の中でほぼ唯一、容姿が形容された天皇であり、それを信じれば、歯並びの良いイケメンで、3メートルを超える巨人ということです。
第十九代允恭天皇
仁徳天皇とイワノヒメの子。病弱で皇位を一度は断ったが、周囲の説得で即位。古事記でも半島との交流が記載されています。この方、というよりは、子どもたちが極めて特徴的で、古事記後半の物語を彩ります。
第二十一代雄略天皇
特徴的な允恭天皇の子の一人。正史において極めて辛辣に描かれている天皇で、古事記においてもその横暴ぶりが目立ちます。古代日本のジャイアン、ですが、裏を返せば行動力バリバリの天皇、ということかもしれません。事実、古代日本が飛躍した時期に相当します。
雄略天皇のみ、二つの古墳が指定されていますが、これは二つの古墳(円墳と方墳)が一つの古墳と考えられてきた時期があったことの名残と言えます。
第二十二代清寧天皇
雄略天皇の子。古事記に本名が白髪大倭根子命とあり、日本書紀などにおいても、生まれながらの白髪、そこに霊威を感じた雄略天皇が皇太子に指名した、などで知られ、白髪皇子として、現代の小説や漫画のモデルになることも少なくありません。
第二十四代仁賢天皇
雄略天皇に父を殺され、弟の第二十三代顕宗天皇とともに、播磨に潜伏するという経緯を持つ苦労人。積極果敢な弟に比べ、遠慮深く思慮深い兄という姿が古事記にも描かれています。父の仇・雄略陵を破壊するという弟の計画を未然に防いだ物語などが伝わります。
第二十七代安閑天皇
第二十六代継体天皇の子。古事記においてはすでに系譜のみが記されている部分で、具体的な事績が伝わっていません。その他の資料でも、在位の短さもあってか、存在感が希薄な天皇。おそらく、継体天皇崩御の後の混乱に翻弄されたかと。
カスガノオダノ(第二十七代安閑天皇皇后)
仁賢天皇の娘で、安閑天皇の皇后。古事記には系譜のみ、しかも立后の記載はなし。しかし、日本書紀においては、第二十八代宣化天皇の崩御後、周囲から即位を薦められこれを固辞した話が伝わります。史上初の女帝・第三十三代推古天皇以前のお話。
※上記はあくまでも宮内庁による治定(正直、ほぼ江戸時代に治定されたそのまま)と、世界遺産登録を目指す上で付けられた正式名称に基づくものであり、現代の学術的に被葬者が確定したものではありません。
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