・所在地:広島県安芸高田市甲田町上甲立菊山
・時 期:4世紀末
・時 代:古墳時代中期前半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:市史跡
【概要】
4世紀後半から4世紀末に築造された前方後円墳で、安芸高田市教育委員会が広島大学考古学研究室に依頼した測量調査によって、2009年11月に確定に至った。
この菊山付近には、安芸国の国人領主・宍戸氏の城であった柳ヶ城があり、古墳はその一部と見なされており、上記調査までは古墳として認識されていなかった。
柳ヶ城の調査を担当した東広島市教育文化振興事業団の指摘などによって、2008年2月に調査が開始され、古墳と確認された。
調査古墳は菊山中腹斜面に築かれており、前方部分が南、後円部分が北に配置されている。広島県内では最古の時期のものとされ、推定されるその規模は全長75-77メートル、高さ約13メートル。
三ツ城古墳(5世紀、全長92メートル、東広島市、国の史跡)、辰の口古墳(4世紀後半、全長77メートル、神石高原町、県史跡)に次ぐもの。
また、古墳側面の斜面部分には川石を使った葺石が施され、埴輪が配置されていたことも判明した。2010年より発掘調査が行われ、それに併せて市指定史跡として指定された。
【関連サイト】
・甲立古墳 - Wikipedia
【関連記事】
・広島県安芸高田市の甲立古墳で、5基の家形埴輪が1列に並べられていたことが明らかに
・時 期:4世紀末
・時 代:古墳時代中期前半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:市史跡
【概要】
4世紀後半から4世紀末に築造された前方後円墳で、安芸高田市教育委員会が広島大学考古学研究室に依頼した測量調査によって、2009年11月に確定に至った。
この菊山付近には、安芸国の国人領主・宍戸氏の城であった柳ヶ城があり、古墳はその一部と見なされており、上記調査までは古墳として認識されていなかった。
柳ヶ城の調査を担当した東広島市教育文化振興事業団の指摘などによって、2008年2月に調査が開始され、古墳と確認された。
調査古墳は菊山中腹斜面に築かれており、前方部分が南、後円部分が北に配置されている。広島県内では最古の時期のものとされ、推定されるその規模は全長75-77メートル、高さ約13メートル。
三ツ城古墳(5世紀、全長92メートル、東広島市、国の史跡)、辰の口古墳(4世紀後半、全長77メートル、神石高原町、県史跡)に次ぐもの。
また、古墳側面の斜面部分には川石を使った葺石が施され、埴輪が配置されていたことも判明した。2010年より発掘調査が行われ、それに併せて市指定史跡として指定された。
【関連サイト】
・甲立古墳 - Wikipedia
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