サルタヒコ直系の子孫“宇治土公”が神宮に代々奉職した古社
[住所]三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
[電話]0596-22-2554

猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は、三重県伊勢市宇治浦田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

近代社格では無格社、現在は神社本庁の別表神社伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の近くにある鎮座する。

猿田彦大神と、その子孫の大田命を御祭神とする。猿田彦大神は、天孫ニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった、という。

『古事記』では、伊勢の海で溺死している。

『倭姫命世記』によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。

大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ、うじとこ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦大神を祀っていた。

明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが当社。

猿田彦大神がニニギの先導をしたということから、交通安全、方位除けなどの神社として信仰されている。

本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造である。欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。

5月5日の御田祭は、県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。

境内には、降臨の際に猿田彦大神の応対をし、後に夫婦となる天宇受売命を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が当社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。

全国約2000社の猿田彦大神を祀る神社の総本社「地祗猿田彦大本宮」は鈴鹿市の椿大神社ということになっている(昭和10年内務省神社局調査)。

椿大神社の宮司は山本という姓で、当社の宮司は宇治土公という姓である。どちらも猿田彦大神、大田命の直系の子孫であると主張している。

『倭姫命世記』によれば、宇治土公家こそ猿田彦大神の直系の子孫とされ、当社が内宮の近くにあることや、猿田彦大神を祀る各地の神社で、椿大神社とつながりのある神社は少数しか存在しないことから当社が猿田彦大神を祀る神社の総本社とする見方も強い。

猿田彦大神に関して、二見浦に二見興玉神社がある。伊勢神宮の内宮域、内宮の御垣内に鎮座する興玉神があり、鈴鹿市には伊勢国一宮とされる都波岐神社、椿大神社があり、いずれも猿田彦大神を祀る重要な神社であって、周辺一帯に展開している。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
建築、方位除け、災難除け、開運、事業発展など(公式HP
猿田彦神社 - サルタヒコ直系の子孫“宇治土公”が神宮に代々奉職した古社
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