神宮125社、内宮・所管社 式年遷宮最初の祭儀が斎行された
[住所]三重県伊勢市宇治館町1 内宮域内
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大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、三重県伊勢市宇治館町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の所管社の一社。内宮所管社30社の第29位。伊勢神宮125社めぐりの中で内宮めぐりの一社。

内宮の宮域内、宇治橋東詰から東に進むと衛士見張所があり、見張所付近に同じく内宮の所管社である子安神社と並び鎮座する。

旧称を「山神社」といい、神宮式年遷宮の最初の祭儀である「山口祭」はこの神社で催行されていたとされる。

その後、御杣山の移動に伴い、山口祭の祭場が移動し、当社に捧げられることはなくなった。

社殿は玉垣に囲まれている。伊勢の神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていないが、当社には賽銭箱が置かれている。

社殿の手前には花の形をした手水鉢がある。その手前にあるのが子安神社、その奥にあるのが当社。

御祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)。子安神社御祭神の父。他に、内宮摂社の大水神社、外宮摂社の大河内神社でも大山祇神を祀る。

創建は不詳。明治5年(1872年)6月、教部省は両古書に記載のない神社を一律に神宮所管から外し、度会県および三重県管轄に移行したため、当社も神宮所管から離れることとなった。

県の所管に移行した当社は明治12年(1879年)以降、地元・宇治館町の産土神となった。

一方の神宮側では、内宮宮域にある当社と外宮宮域にある茜社(あこねやしろ)を神宮の所管に復帰すべく、神社局と内々に折衝を開始。

これは、両社が神苑の中央付近にあり、神宮にとって重要な場所であることと、紅白の幟や傷んだ鳥居などが林立する光景が神苑の景観を損ねているという理由からであった。

茜社の氏子は神宮復帰を拒否したが、当社の氏子は明治33年(1900年)に自ら神宮に神宮所管への復帰を願い出た(実際には神宮司庁からの要請により願い出たようである)。

この願いが受け入れられ、当社とその境内社の子安神社および両社の社地174余坪(約575平方メートル)が明治33年(1900年)、内宮に編入された。

1924年(大正11年)3月に造り替えられた。

同名の神社としては、伊予国一宮である、現在の愛媛県今治市に鎮座する大山祇神社が有名。

当社が鎮座する内宮の神苑は例年、11月下旬から12月上旬にかけて紅葉の見頃となり、紅葉の名所。色づき始めた木々たちが五十鈴川の水面に映り、秋の訪れを感じさせる。

当社そのものに御朱印はない。内宮域では、内宮正宮のみ、御朱印を頂ける。

【ご利益】
宇治館町の産土神、山の神

皇大神宮(内宮)所管社
序列1 滝祭神 (伊勢市宇治)
序列2 興玉神 (伊勢市宇治)
序列3 宮比神 (伊勢市宇治)
序列4 屋乃波比伎神 (伊勢市宇治)
序列5 御酒殿神 (伊勢市宇治)
序列6 御稲御倉 (伊勢市宇治)
序列7 由貴御倉 (伊勢市宇治)
序列8 四至神 (伊勢市宇治)
序列9 神服織機殿神社 (松阪市大垣)
序列10-17 神服織機殿神社末社八所 (松阪市大垣)
序列18 神麻績機殿神社 (松阪市井口)
序列19-26 神麻績機殿神社末社八所 (松阪市井口)
序列27 御塩殿神社 (伊勢市二見町)
序列28 饗土橋姫神社 (伊勢市宇治)
序列29 大山祇神社 (伊勢市宇治)
序列30 子安神社 (伊勢市宇治)

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