大國魂神社「くらやみ祭」の禊の地、「天王洲」の由来の天王祭も
[住所]東京都品川区北品川2-30-28
[電話]03-3471-3457

荏原神社(えばらじんじゃ)は、東京都品川区北品川にある神社。旧称を天王社、貴布彌大明神という。

明治初期に準勅祭社に指定されたが、その廃止後、近代社格では郷社。「南の天王」とも呼ばれる。また、東海七福神の一社として恵比須を祀る。

御祭神は、右座が豊受姫之神天照皇大神須佐男之尊、中央が高龗神、左座が手力雄之尊

和銅2年(709年)9月9日、大和国の丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。

長元2年(1029年)に伊勢の神宮(伊勢神宮)より豊受大神、天照大神を勧請。宝治元年(1274年)に京都祇園社(八坂神社)より牛頭天王(=須佐男之尊)を勧請。

康平5年(1062年)、源頼義と義家は奥州安倍氏征伐に際し当社と大國魂神社に参蘢し、品川の海中で身を浄める。このことより、現在でも大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭に際し当社に参詣して禊を行う。

以降、源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、品川の総鎮守として崇敬さる。後に現在地に遷座。旧鎮座地には今も水神の貴布彌神社(きふねじんじゃ)があるように、もとは「品川貴船社」と称す。

明治元年(1868年)に准勅祭社に、明治3年(1870年)に改めて郷社に列した。明治8年(1876年)、品川貴船社の名を改めて、荏原郡の名をつけて現社名に改称した。

明治天皇の京都・東京行幸の際に、当社に行幸され、内侍所とされた。当社では明治元年から菊花の御紋章を用いているが、本来官国幣社にのみ許されているもので、皇室とのこうした特別の関わりによるもの。

9月に貴布禰祭、6月初旬に天王祭、11月に大酉祭(酉の市)が行われる。

6月の天王祭は当社の例祭で、天王洲沖で神面をつけた神輿が海に入る「御神面海中渡御」が行われる。これは、宝暦元年6月、品川沖の海面から牛頭天王の面が発見されたことにちなむもの。

「天王洲」の地名の発祥。天王洲は現在は埋め立てにより陸地になっており、当社の氏子地域になっている。牛頭天王が水神であることから、参加者をかっぱになぞらえ、「かっぱ祭」と俗称される。

当社の境外末社に、寄木神社がある。なお、準勅祭社「品川貴船社」の候補には、他に品川神社がある。東京十社には含まれない。

【ご利益】
勝運、学問、商売繁盛、交通安全、病気平癒、家内安全、恋など(公式HP
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